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限界
山陰地方在住の月野由紀さん(仮名・40代・既婚)は中学校に入学すると、父と母と同じ高校に入りたいと思うようになった。なぜなら、「褒めてもらえるかもしれない」と思ったからだ。両親の高校はその地域の進学校で、周辺の中学校の1学年300人のうち30番以内が合格圏内だと言われていた。
月野さんはいつも30番以内をキープ。10位以内に入ることもあった。しかし、父親はあまり家におらず、母親は2歳上の兄の高校受験でそれどころではなかった。この頃の母親は、月野さんの祖母(母親の母親)の世話もしていた。
祖母はうつ病でずっと入院しており、認知症も進んでいた。祖父が「自宅療養にしたい」と言うため、母親は祖母の世話をするために、自宅から車で15分ほどの祖父母宅に毎日通っていた。
やがて中1最後のテストの順位表を見せた時、母親は言った。
「意味がない」
母親は、学習面に何らかの障害があり、できないことが増えていく兄に気を使い、月野さんが頑張ることに良い顔をしなかった。月野さんは絶望した。
「兄がこんななのは、母の育て方が悪いからじゃない。なぜなら、妹の私が優等生なんだから……。そう証明し続けることが母への愛情の全てだと思っていました。でも、もう頑張れなくなりました。限界でした」
吹奏楽部だった月野さんは、部員の一人が、「内申書って2年生と3年生の成績だけなんだって。先生が言ってたよ」と言うのを聞いて、心底がっかりした。
顧問の先生は、兄のクラスの担任だった。
「これをお兄さんに渡してね。何回言っても持って帰らないの。キャンバスに自画像を描くはずだったんだけど、何も描かないの。何か知らない?」
そう言いながら数十枚のプリントと大きなキャンバスを渡されたが、「知りません」と答えた。
下校途中、雨が降ってきた。月野さんは自分の荷物に加え、吹奏楽部で担当している楽器と、兄の荷物を抱え、やっとの思いで家に入ると、玄関に兄のプリントとキャンバスを放り投げた。大きな音に気付いた母親が出てきたので、「お兄ちゃんの物を担任から渡された」と伝えると、
「なんでこんなに濡らしたの? お兄ちゃんのなんでしょう?」
と責めるような口調で言った。この時、月野さんは、辛うじてつながっていた1本の糸が切れたと思った。
「私が大変な思いをして数十枚のプリントを持って帰ってきても、兄はどうせやらない。できない。キャンバスだって、どうせ描かない。無駄。ゴミです。黒い感情が私を支配しました。でもすぐに、そんなことを考えることにも疲れました。何も考えたくないし、誰とも会いたくない。話したくもない。とにかく休ませてほしい。そう思いました」
翌朝から月野さんは、学校に行かなくなった。