70代の実母と義母が同じようなタイミングで認知症の症状を見せ始めた。旅行先に巨大なぬいぐるみを持参したり、自分で呼んだ救急隊員に「出てけ!」と叫んだり。娘・嫁である女性は40歳前後から50代にいたる現在まで、別人と化してしまった“母親たち”の言動に振り回され続けた――。(前編/全2回)
この連載では、「シングル介護」の事例を紹介していく。「シングル介護」とは、主に未婚者や、配偶者と離婚や死別した人などが、兄弟姉妹の有無に関係なく、介護を1人で担っているケースを指す。その当事者をめぐる状況は過酷だ。「一線を越えそうになる」という声もたびたび耳にしてきた。なぜそんな危機的状況が生まれるのか。私の取材事例を通じて、社会に警鐘を鳴らしていきたい。

家族円満な南田家

中部地方在住の南田美玖子さん(仮名・50代)の父親は、上場企業で働く会社員だった。1歳下の母親は、結婚するまでは教育系の会社で働いていた。

2人は父親の姉、母親の兄の結婚の準備の際に出会い、父親の一目惚れで交際がスタート。父親23歳、母親22歳で結婚した。

専業主婦になった母親が25歳の時に兄が、30歳の時に南田さんが生まれた。両親の夫婦仲も南田さんと兄のきょうだい仲も良く、円満な家庭だった。

やがて、兄が大学入学を機に家を出て、30歳で結婚。南田さんは実家から大学に通い、卒業後は上場企業の研究所に勤務。25歳の時に大学時代の友人と結婚し、南田さんは寿退社する。実家から車で20分くらいのところで暮らし始め、27歳で長女を、2歳違いで次女、三女を出産。両親や義両親とは、3人の娘の七五三や幼稚園・学校などの行事がある度に会っていた。

2004年、取締役まで務めた父親は、70歳で完全に定年退職を迎えると、趣味の鉄道模型作りに没頭。母親は時々それに付き合ったり、旅行へ行ったり、お茶や染め物、アートフラワーなどなど、お稽古ごとに勤しんでいた。

母親の異変

ところが2015年頃のこと。40代になっていた南田さんは、78歳の母親が何度も同じ話を繰り返すようになってきたことに気づく。外で会う約束をしても待ち合わせの時間に遅れてきたり、歯医者を予約しても予約時間に間に合わなかったり。常にイライラし始めて、南田さんに逆ギレすることが増えていく。

「当時は認知症に怒りっぽくなるという症状があることを知らなかったので、気付くのが遅れました。でも後から知ったことですが、すでに母は1人で病院に行き、認知症の貼り薬をもらっていました。通院していることを知った時、どこの何という病院に行っているのか聞きましたが、教えてくれませんでした。もしかしたら忘れてしまって言えなかっただけかもしれませんが、しっかり者の母は、プライドもあったのかと思います」

そして2018年。おかしな言動がある度に夫や娘たちに相談し、全員が「おそらく認知症だろう」と見解が一致していたこともあり、「早めになんとかしなくては」と思っていた南田さんは近所の精神科を予約して、母親に「行ってみようよ」と声をかけた。

すると母親は、「何を言ってるの! 行かないわよ!」と激怒。

「この日私は、うまく母を誘い出せるか不安だったので、2番目の娘に同行を頼みました。娘は隣にいてくれていただけなのですが、私に勇気を与えてくれました。でも母がいきなり怒鳴った後、口もきかなくなり、その豹変ぶりを目の当たりにさせてしまったことを後悔しました。娘にとってはいつまでも優しい祖母であってほしかったからです。だけど、突然激昂するのが認知症なのでしかたないですよね……」

同じ頃、南田さん一家と両親と一番上の娘とで5日間の海外旅行へ行った。母親が持ってきたトランクは、「何日滞在するんだろう?」という大きさ。南田さんや一番目の娘たちは機内持ち込みできるくらいのサイズだ。おまけに母親は、約80cmもある巨大なウサギのぬいぐるみを抱いていた。父親は、口出しすると怒り出すだろうから好きなようにさせておいたようだ。

「1番目の孫ちゃんがウサギ好きだから喜ぶと思って」

旅先の宿に着くと、母親はトランクを開けた。すると中にもウサギのぬいぐるみがいくつか入っていた。これら全てを孫にあげると言う。

イースターエッグとうさぎの人形
写真=iStock.com/wsfurlan
※写真はイメージです

「旅行に同行したとき、1番目の娘はまもなく30歳。ウサギのぬいぐるみで喜ぶ歳はとっくに過ぎていましたし、旅行先で渡されても困ります。とはいえ本人は孫を喜ばせたくてした行動。ちゃんと理由はあるのですが異常です。この頃から出かけるときの支度をするときは、私がするようになりました」

現在、母親は80代となったが、後述するように、そこにいたるまでの「暴君化」はまさに目も当てられないものだった。