義父の死

一方、義両親の健康状態も、以前から思わしくなかった。

2010年3月。76歳の義父に膵臓がんが判明した。膵臓癌は自覚症状が出にくく、気づいた時には末期であることが少なくないというが、たまたま受けた血液検査で見つかったのはラッキーだったかもしれない。義父は約45日後に病巣とリンパ節を10kgほど摘出する手術を受けた。

人間の膵臓の位置を示したイメージ画像
写真=iStock.com/nopparit
※写真はイメージです

年齢の割に体力のある義父は、手術翌日には院内を歩き回り、1週間ほどで退院。手術から3カ月後には南田さん一家で北京旅行に行ったが、現地の食事も問題なく、万里の長城では一般の人が行ける終点まで登った。

ところがその1年半後、再発がわかると、通院で抗がん剤治療を開始。するとこの頃から義父の体調に陰りが見え始めた。

78歳の頃、主治医に「入院してください」と言われたため、南田さんが義母と一緒に義父を病院に送り届けた。この時、義父は車から降りると、自分の足で歩いて病院まで移動できていた。

翌日、南田さんの1番上の娘がお見舞いに病院を訪れ、その次の日は、南田さんの両親がお見舞いにきた。その翌日、突然容態が急変し、義父は亡くなった。

あまりに急なことで、義弟(南田さんの夫の弟)はお見舞いにくることができていなかったが、臨終には立ち会えた。

「義父は演劇や音楽、旅行が大好きで、義父の死後、これから開催予定のミュージカルとコンサートのチケットが2枚ずつ出てきました。義母と行くつもりだったのだと思います。2人はとても仲良しで、目の悪い義母を義父はよく助けていました」

50代後半頃から「加齢黄斑色素変性症」を患い、障碍者手帳を持っていた義母だが、義父の死後、一人暮らしになってしまった。この目の病気は、狭視野で正面にあるものしか見えず、見えるものはかすんで見え、色の区別がしにくくなる。

「人に助けを求めたがらない義母でしたが、さすがに視力が失われていく病の人を放ってはおけません。高速を使って車で1時間ちょっとの距離でしたが、月に1〜2回は様子を見に行き、義母の書類や郵便物を確認する手伝いをし始めました」

義父が亡くなった3年後、義弟は10年以上別居状態だった妻と離婚し、再婚。義弟は義母の家の近くに住んでいたため、義弟と再婚した義妹が時々様子を見に行くようになった。

南田さんと夫は、「早くどこか安心できる施設に入れてあげたい」と思い、探し始めた。すぐに視覚障害者向けの施設が見つかったが、南田さんや義弟の家から遠いため、二の足を踏んでいた。