義母の狂人化

ところが入所当日。義弟の付き添いで施設に向かい、契約や利用についての説明を聞いていると、突然義母が手に負えないほどの剣幕で怒り出した。万が一、入居者が何かを壊した場合の、損害賠償の話をしている最中だった。

「私が何をするというんですか! 私がモノを壊すと決めつけてる!」

挙げ句の果てには、「家の片付けがまだ終わっていないから帰る!」と言い出す始末。義弟は何とかなだめすかし、施設に押し込めるような形で入所を終えたという。それから義母は、毎日義弟に「帰りたい」と電話するようになっていた。1週間後には、義弟から南田さんにヘルプの連絡が来る。

「お母さんの電話攻撃でおかしくなりそう! 施設にもかなり迷惑をかけている。お義姉さん、どうしよう?」

この頃、南田さんの夫は、仕事の関係で海外に住んでいた。

義母は施設の構造を一生懸命覚えようとしている様子も見られたが、一方で、自宅に帰るために、自分の服や部屋にある椅子やテレビなどを玄関まで持って行くなどし、職員たちに迷惑をかけているらしい。

さらに、時々施設に見学に来る人たちに向かって、「ここは地獄です! 拘束ホームです!」と悪口を吹き込んでいるという。

やがて義母からの電話は、義弟だけでなく南田さんにもかかってくるようになっていった。

義弟には、朝6時半から始まり、多い日は一日100回以上かかってきた。義弟が出ないと、義妹にもかかってくるようになった。

携帯電話で話す高齢の女性
写真=iStock.com/Hanafujikan
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すっかり義母の電話恐怖症になった義弟は、南田さんと義妹とで仕事の後に開く「作戦会議」が心の拠り所となっていた。

「義母はすっかり別人になってしまいました。認知症だから仕方がないとはいえ、息子に殺されるだの、捨てられただの言って泣きわめくのですが、夫も義弟もとても義母を気遣っていて、親孝行な息子だと思います。あまりに失礼だと思い、義母に怒りを覚えました」

義母は毎日のように荷物を玄関まで運び出し、玄関先で施設の悪口を叫び、白杖を振り回すため、施設もお手上げ状態だった。

入所から2週間ほど経った頃、精神科医との面談があったが、義母の興奮がおさまらず、精神科医でさえ「診察不可能」と言った。だが、この面談で初めて「認知症」の診断が下り、これまで出されていた抗うつ薬を減らし、統合失調症の薬を追加して落ち着かせる方針に決まる。

ところがその4日後。施設からの連絡に南田さんは声を上げる。

「投薬だけでは限界なので、精神病院に入院してください」

しかし義弟は首を縦に振らない。義母の電話のせいで精神的に疲れてしまい、仕事に行けなくなっているにもかかわらず、義弟は「家に戻してあげるべきか」と葛藤し続けていた。義弟が電話に出られないと義母は義妹に電話をし、「あなたのせいで息子が電話に出ない! あなたは鬼だ!」と責めたてる。

義母は用もないのにタクシーを呼んだり、警察に電話したりと次々に事件を起こす。

入所から1カ月後、義弟は家に戻すことを決断。義母は家に戻った。

ところがその翌日、自ら救急車を呼び、駆けつけた救急隊員に対して「何しに来た? 出て行け!」と叫んで足で蹴り出した。

この頃の義妹は限界に達していた。義妹は、南田さんや施設の職員、医師・看護師が言うように、精神科に入院させるべきだと考える。しかし義弟は精神科に入院させたくない。

そんな意見の食い違いから、離婚の話にまで発展したが、何とか義妹は踏みとどまった。

義母が自宅に戻ってから5日後。スーパーで買い物ができず、床に転がって子どものように暴れているという連絡が、スーパーから義弟に入った。なんと3時間もスーパーで暴れていたという。

これが決定打となり、ようやく義弟は精神科への入院を決断した。