ある家庭では、ひきこもりの子どもを「いない存在」として扱う。ある家庭では、夫の暴力支配が近所に知られないように、家族全員がひた隠しにする。限られた人間しか出入りしない「家庭」という密室では、しばしばタブーが生まれ、誰にも触れられないまま長い年月が過ぎるケースも少なくない。そんな「家庭のタブー」はなぜ生じるのか。どんな家庭にタブーができるのか。具体的事例からその成り立ちを探り、発生を防ぐ方法や生じたタブーを破るすべを模索したい。
今回は、障害のある兄を持ち、きょうだい児として苦悩し続けてきた現在40代の女性の家庭のタブーを取り上げる。彼女の「家庭のタブー」はなぜ生じたのか。彼女は「家庭のタブー」から逃れられたのだろうか。
両親は進学校の同級生
山陰地方在住の月野由紀さん(仮名・40代・既婚)は、代々100人規模の社員のいる会社経営をする家柄の両親のもとに、長女として生まれた。2歳上には兄、3歳下には妹がいた。
両親は同じ進学校の同級生で、高校生の頃から交際が始まった。お互い大学に進み、大学を卒業後、すぐに結婚。父親は親の会社には就職せず、製造業の会社に入社し、母親は専業主婦になり、25歳で長男を出産した。
「父は、怒りっぽくて口下手な人でした。地元の町おこし青年団に入っていて、ほとんど家にいませんでした。子どものことは全て母に押し付けて、問題があるといつも母の育て方が悪いと責めていました。兄のことは見て見ぬフリ。父は昔から何でもできる人で人望もあったので、自分と正反対の兄に嫌悪感を持っていて、心底がっかりしてるのを全面的に出し、妹ばかり溺愛していました。母は優しい人ですが、感情的ですぐに泣きます。何かを学ぼうとか勉強しようという意欲がなく、本も読みません。ただひたすら兄を守ろうとしていました」
それでも両親の仲はそこまで悪くはなく、父親は、夏はプール、冬はスキーなどに家族を連れて行ってくれた。専業主婦の母親は、ほぼ毎日のように自宅に高校時代の友達を招き入れ、お茶会を開いていた。小学校に上がる前の月野さんと兄とは仲が良く、よく一緒に遊んでいた。