兄のいじめを目撃
月野さんは小4になった。教室移動のため、たまたま小6の兄の教室の前を通った時、兄が3、4人の男子に掃除道具入れの中に閉じ込められるところだった。
月野さんは足早に通り過ぎた。
理科室に着くと、すぐに授業が始まったが、全く教師の声は入ってこない。5歳くらいの頃、兄と遊んでいたことを思い出していた。
一緒におたまじゃくしをバケツいっぱいに獲り、そのまま庭に置いておいたら、全部カエルになったのか、いなくなっていた。おたまじゃくしがいなくなったバケツを見て、月野さんと兄は地面に転がり、ゲラゲラ笑った。
「兄がいじめられている」と思うと、怒りと悔しさで涙と鼻水が一気に出てきた。クラスメイトも教師もびっくりして駆け寄ってくる。月野さんは保健室に連れて行かれた。
教師は心配そうにどうしたのか訊ねるが、月野さんは教師に迷惑をかけるのが忍びなく、何も話せなかった。しばらくすると、教師に呼ばれた母親が迎えにきてくれた。
「先週末にバレエの発表会があったので、疲れたのかもしれないです」
母親は言った。
「私は『またか』と思いました。母は私に何かあると、それを何でもないことにすぐにすり変えました。私に『何かあったの?』とか、先生に『クラスで何かあったのですか?』などと聞いたりもしません。私を気にかける余力は母にはなかったのだと思います」
車で家に帰る途中、月野さんは兄のいじめを目撃したことを言おうと口を開きかけた時、「ケーキでも買っていこうか!」と母親は明るく言った。「ソフトクリームを食べて帰るのもいいね!」そう言って月野さんを見た。
月野さんは、言いかけた言葉を飲み込んでしまった。そして、こう答えていた。
「ソフトクリームもケーキも食べたいな」
運転する母親の横顔は笑っていた。
「私は結局、兄がいじめられていることを誰にも話せませんでした。『兄がかわいそうだ。助けてあげたい』という気持ちと、『母の意識を兄だけに奪われたくない』という気持ちに揺れ動いていました」
しかし、ほどなくして兄へのいじめは明るみに出た。なぜなら、とてもひどくなったからだ。
兄の体にアザや擦り傷ができ、血を流して帰ってくる日もあった。給食袋や体操服はなくなった。リコーダーは粉々にされて捨てられていた。
父親はイライラし、「男ならやり返せ!」と怒鳴った。うつむいているだけの兄を、母親は泣きながら抱きしめていた。