「意味がない」
兄のいじめが発覚してから、母親は以前より一層兄を守るようになった。
「この頃から母は、兄が傷つけられることに敏感になり、私に対しては、やたらと『意味がない』と言うようになりました」
月野さんがテストで100点をとっても、リレーの選手に選ばれても、音楽会のピアノの伴奏者に選ばれても、作文が学年だよりに載せられても、いつも「意味がない」と言われた。
「母に褒めてほしくて、私のほうを見てほしくて頑張っても『意味がない』。母に伝えたくて、一生懸命に話しても、全て『意味がない』で切り捨てられました」
月野さんは次第に、母親に本当のことを話さなくなっていった。当たりさわりのない面白い話を作りあげて、それを気遣いながら話すようになった。そして、悲しい、悔しい、寂しいという負の感情を封印した。
「兄の苦しみに比べたら、大したことないことだと思ったからです。頑張っても『意味がない』と言われるのに、私が負の感情を口にするなんて許されないこと。母に嫌われるような気がして怖かったんです」
やがて兄が卒業すると、月野さんの小学校生活は一気に平和になった。
しかし中学に行っても兄のいじめは続いているようで、たびたび母親は泣いていて、いつも兄はうつむいていた。
ある日、月野さんが英語塾に行くと、ノートに蛍光ペンで「バカ」と書かれてあることに気づいた。すぐに兄の仕業だと分かった月野さんは、猛烈に怒りが込み上げてきた。帰宅すると、仕返ししてやろうと思い、兄の部屋に忍び込む。
すると壁に一枚だけ、賞状が貼り付けてあることに気づく。それは漢字大会の賞状で、1年生の1学期にもらった物。月野さんの小学校では、漢字大会と計算大会が毎学期あり、成績優秀者に小さな賞状が贈られる。月野さんは6年間で20枚ほどもらい、机の引き出しに仕舞い込んでいた。
「漢字は得意なんだ。いっぱい練習したら覚えられるよ。小学生になったら教えてやるよ」
かつて誇らしげに言っていた兄の姿を思い出すと、月野さんは涙が溢れて止まらなくなった。(以下、後編に続く)