なぜ娘が母を捨てるのは、息子が父を捨てるよりも難しいのか――。精神科医の斎藤環氏は、決別する際に最後に足を引っ張る「罪悪感」は、男性よりも女性のほうが感じやすいからだと指摘する。実際、虐待サバイバーで作家の菅野久美子氏は、母と絶縁して4年経ったいまも罪悪感が消えず、自分の中にいる母に心身を囚われている感覚があるという――。

「母娘問題」が男性に理解されないワケ

【菅野】虐待された母親との関係を断つまでの38年間を綴った著書『母を捨てる』を読んだ読者の方から、さまざまな感想をいただくのですが、その多くはやはり女性からです。「自分も、親を捨ててもいいと思えた」「気が楽になった」という声もあり、ありがたいです。

ただ、私が驚いたのは、自らの母との葛藤を、「私も」「私も」と鮮明に語ってくださる方が多いことです。母への積年の愛憎というか、ご自身の積もり積もった思いが、本書で喚起されたのでしょう。やはり母娘問題は一筋縄ではいかないというか、根が深いことを感じさせられました。

逆に男性からは、なかなかそういった反応は乏しかったりもします。これは「母娘問題」において、男性よりも女性のほうが言語化しやすいといったことが関係あるのでしょうか。

【斎藤】母を捨てることの難しさや苦悩が、男性にはなかなか理解できないからだと思います。多くの男性は「父と息子」のモデルで考えますから、「そんな親なら捨てればいいのに」「どうして関係を持ち続けているの?」と不思議に思うのではないでしょうか。

【菅野】たしかに、男性からはそのような反応が多いです。

私自身、メディアのインタビューを受けたり、インターネット番組などに出演したのですが、多くの男性取材者は、それだけひどい目に遭ったならさっさと離れればいいのに、という反応が一般的です。白か黒か、なんですよね。いや、離れられないから、めちゃくちゃ苦しいのに、と。

精神科医でも男性が「母娘問題」を理解するのは難しい

【斎藤】私が著書『母は娘の人生を支配する』(NHKブックス)を書いたきっかけは、女性の当事者に「母と娘の関係について書いてほしい」に頼まれたからです。私はそれまでひきこもりのケースにおいて、確かにこじれていそうな母と娘を見てきましたが、それがそんなに特異なものとは思っていませんでした。

ところが、いざ本格的に資料を集めて調べ始めると、これがなかなか興味深い。なぜ興味深いかというと、「わけがわからないから」です。私も最初は理解できなかった。でも、取材してようやく“多少は”わかってきたんです。

【菅野】斎藤先生もそうだったんですね。どのようなところが、理解しがたかったのでしょうか。

【斎藤】私も「毒母がいるなら捨てればいい」と思っていたんです。「なぜそんなに苦しいんだろう」と、わけがわからなかった。そもそも男性には、母を捨てる「罪悪感」や「断ち切りがたさ」、もしくは「母と娘が細胞レベルで融合している」ということが想像できませんからね。

【菅野】考えてみれば女性である私も、「細胞レベル」の母との融合関係を言語化できたのは、『母を捨てる』を書いたごく最近なんです。取材者の私ですら、それを表現することは並大抵ではなかったわけですから、他者に理解してもらうのは本当に困難なのかもしれませんね。

それでも私は、やはり身近なパートナーにこの母娘問題の苦しみを理解してほしい、と願うんです。これは本当にエゴかもしれませんが。男性にこの問題をわかってもらうには、どうしたらいいのでしょうか。

【斎藤】男性には、そもそもその“ニーズ”がありません。女性は母娘問題の苦しさから解放されるヒントを探しているのでしょうが、男性はピンとこないので、それを知的な理解、あるいは教養の一部のようなかたちで受け止めてしまう。そのため、それ以上理解しようというモチベーションが湧かないんです。

【菅野】なるほど。それは斎藤先生のおっしゃる通りだと思います。男性にいくら熱を持って話しても、きっとこの人にとって自分事ではなく、文化的教養とか、知的探求の一部なんだろうなと途中から気づいて、落胆することも多々ありましたね。

それでも関心を持っていただける分、まったくの無関心や女性同士のことは「お手上げ状態です」よりはマシかもしれないと思っていますが。

【斎藤】奥さんや恋人など身近な女性が母との関係に苦しんでいるときに、「なんでそんなに苦しいのだろう」と疑問を持って、理解をしようとする男性はいるかもしれません。

斎藤環氏。
撮影=大沢尚芳
斎藤環氏。