最後に足を引っ張る罪悪感
【斎藤】ただし、決別のためのアイデアは出しました。一つは、「母の存在感を小さくすること」です。母をただの女性の一人にすぎないと考える。
これは支配から逃れるための方法です。「これをしたら絶対に大丈夫」とは言えませんが、解決策と思われるものをいろいろ試してみることをお勧めします。
菅野さんが関わっていらっしゃるような家族代行サービスを利用するのも一つの方法です。「親を手放してもいい」「代行してもらってもいい」という理解まで進んでいただくことが、決別するための第一段階ではないでしょうか。
ただ、その最後のとりでの「罪悪感」、これがいちばん厄介なんです。決別したいと思っても、罪悪感が最後に足を引っ張って簡単には切り捨てられなくなる。
【菅野】まさに、罪悪感ですよね。父を捨てても、そんな罪悪感には襲われない気がするんです。父に関しては、特に無感情というか。だけど母に対しては、えぐられるような痛みがあった。
私は母から、「お前は氷のように心の冷たい人間だ」と呪いの言葉をかけられて育ったんです。いまも一面では母の言う通りだと感じていて、母を捨てた自分は、人間性が欠落したヒドい人間だと思えて仕方ないんですよ。
踏み切れないのはやっぱり「母と娘だから」という理由もあるのでしょうか。
【斎藤】それは多分にあります。息子は親を捨ててもあまり引きずらない傾向があると思います。もちろん、良心の呵責がまったくないわけではありませんが、娘のように身体感覚まで巻き込むような「痛み」は感じません。
母の日のカーネーションを見ると消えたくなる
【菅野】娘が父を捨てる場合もそうなのでしょうか。
【斎藤】息子が父を捨てるのよりは葛藤が大きいと思います。というのも、一般的に女性のほうが男性よりも罪悪感を感じやすいという傾向があるからです。罪悪感は特に親に対して強烈に働くため、女性のほうが「親に何かあったら自分が抱えるしかない」と思いやすいのです。
【菅野】私が母と決別してもう4年経ちますが、罪悪感はずっと残っていますからね。母の日とか、本当につらいです。カーネーションが並ぶ花屋をふと目にすると、「ごめんなさい……」という思いに襲われて、消えたくなります。
【斎藤】母と決別した菅野さんでも抱えてしまうんですよね。そこが限界なのかもしれません。重要なのは、罪悪感があっても踏みこたえて、「間合いを詰めないこと」だと思います。