パートで働きはじめる

2019年。中3の長男が私立高校への進学を希望。森山さんも夫も公立を考えていたが、こだわりが強い長男は、「ここ!」と決めたらテコでも動かない。

いよいよ「夫だけの収入では学費を捻出できない」と思った森山さんは、働きに行くことを次男に相談。すると小学校高学年になった次男は、「帰宅した時にお母さんがいてくれるなら、働いてもいいよ」と言ってくれた。

森山さんは、かねて興味があった飲食系製造会社の求人に応募。面接を受けるとすぐに採用が決まり、4月から働き始めることになった。

森山さんのパート収入がプラスされると、家計がスムーズに回り始めた。働き始めて約10カ月が過ぎた頃、森山さんは繰り上げ返済を実行。80万円ほど残っていた借金も、半年後には55万円まで減らすことができた。

「結婚前の借金は両親が肩代わりをしてくれ、2回目の借金は学資保険を解約。学資保険を解約には親としての不甲斐なさはありましたが、ほとんど苦労していません。自分で働いて、自分で返す。お金を稼ぐことの大変さ、お金の大切さを、今さら理解しました。浪費が減ったのは、子どもたちの主治医や療育でお世話になっている心理士さんから『お母さんもADHDだと思いますよ』『HSPだと思いますよ』と言われたことで、自分の性質(ADHD)と気質(HSP)に合ったルールを作ったことが大きかったと思います。ランチなどの誘いも、仕事を理由に断れるようになりました。また、コロナ禍という環境下も、誘われたら断れない私にとっては良かったと思っています」

森山さんは、一人カフェやランチはしない。カードは極力使わない。ウインドーショッピングをしない。洋服は必ず試着する……というルールを決めたところ、無駄遣いが減ったという。

勝手極まりない老親たち

その頃、実家の両親も大きな問題を抱えていた。

現在79歳の父親は、2017年に脳出血を起こして手術を受け、1カ月半ほど入院。一命はとりとめたものの指先に痺れが残った。

MRIの脳スキャン
写真=iStock.com/Chinnapong
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一方、現在78歳の母親は2018年10月、心筋梗塞を起こして倒れ、搬送先の病院で手術を受け、1カ月ほど入院。母親は、2019年4月頃には糖尿病のための管理入院。2020年6月頃には肺がんが見つかり、放射線治療のため入院と、入退院が続いた。

「母は、心筋梗塞を起こしたあたりから、『あれ?』と思うような言動が多くなりました。その後も入退院を繰り返す度に認知が低下していったように思います」

心筋梗塞を起こして搬送された病院は、森山さんが長男を出産した病院だったが「初めて来た」と言い、糖尿病の管理入院のときには、長男に「高校の入学祝い」をくれたが、袋には何も入っていなかった。放射線治療の入院中は、「主治医が気に入らない」と言って勝手に退院してしまったり、主治医を変更してもらって再入院した後、気に入らない医師のことを忘れていたりと、明らかにおかしな言動が増えていた。

そして2023年10月。77歳だった母親は再び救急搬送される。自宅で突然へたりこんだまま立ち上がれなくなり、父親の力でもどうすることもできなかったのだ。原因は脱水症状と栄養失調。そのとき救急車に乗って病院まで付き添った父親は、自分を罵倒し続けてきた妻を「これで入院させることができる!」と内心喜んだが、点滴を受けただけで帰宅させられると知った途端、激しく落胆。

脱水症状と栄養失調を起こしてから、「母を一人で家に置いておけない」と思った森山さんは、「これからも自宅で生活したいなら、お父さんが透析へ行っている間はデイサービスに行って」と説得するが、母親は「車の送迎でご近所にばれるのが嫌だ」と言って頑なに拒否する。

もともと高血圧と糖尿病を患っていた父親は、2023年6月、糖尿病からくる腎不全と診断され、週3回、1回4時間の人工透析を受けることになった。

自分のことで精一杯だった父親は、母親が点滴だけで戻ってきた後、「母さんといることが限界だ」と泣きながら森山さんに電話してきた。森山さんはケアマネジャーに相談してすぐに施設を探してもらい始めたが、10月半ば、しびれを切らした父親は自ら救急車を呼び、母親を一人残し、入院を決めてしまう。

父親がいなくなった家に母親を一人で置いておけない。森山さんは母親をなだめすかし、10日間で準備を整え、高齢者住宅に入居させた。

母親が自宅からいなくなったことを知った父親は「退院したい」と言い出し、帰宅。長年患っていたうつ病も、自宅に戻って2カ月で寛解した。