ウニを食べる日本人は「変わった人種」?
僕は父親の仕事の関係で、子ども時代をアフリカのセネガルとアメリカで過ごしました。セネガルで家族そろって海水浴に行ったら、そこらじゅうにウニが転がっているんです。家族みんなで大喜びでつかまえて食べていたら、それを見たセネガルの人たちが、「日本人は、そんな気持ちの悪いものを食べるのか」と馬鹿にするんです。アメリカでも、生で魚を食べるというだけで「日本人は変わった人種だ」と言われて、子どもながらに傷ついた思い出があります。
そんなことがあったので、高校生の頃から、日本と世界を繋ぐ文化の架け橋になれたらいいと思うようになりました。日本の素晴らしさを正しく海外に伝えたいし、日本にもまだ知られていない海外の素晴らしさを伝えることもやっていきたい。それが、シアトルのスペシャルティコーヒーを日本に持ってこようと思った、僕の原点ですね。
当時は若かったこともあって、とにかくがむしゃらでした。最初は、すでに1000店舗ぐらい展開していたスターバックスにファクスとメールで面会を申し込んだのですが、スタバからは何の返事もありませんでした。次に250店舗ぐらい出店していたシアトルズ・ベストコーヒーにアポイントを入れて、副社長に会ってもらえたのですが、
「君は経営の経験があるんですか?」
「ありません」
「家族は資産家ですか」
「いいえ。親戚一同サラリーマンです」
「あなたはお金を持っていますか」
「数百万円の預金しかありません」
「残念ですが……」
という会話を交わしただけで終わってしまいました。そりゃあ、当時の僕は27歳の一介のサラリーマン(三和銀行勤務)でしたから、仕方のないことでした。
シアトルに4店舗しかなかったタリーズと交渉
3番目にアプローチしたのが、タリーズコーヒーでした。
日本人の多くが、米国のタリーズは巨大なコーヒーチェーンだというイメージを持っていたと思いますが、実は当時、タリーズはシアトル市内に4店舗しかないローカール・チェーンで、しかも海外で展開しようという考えもまったく持っていませんでした。大金持ちのオーナー(トム・タリー・オキーフ)が、道楽で世界中の農園から最高級の豆だけをかき集めて経営している小さなチェーン店だったのです。
僕がタリーズを日本に持っていきたいと真剣に思うようになったのは、規模は小さかったけれど、圧倒的にコーヒーがおいしかったからです。メールとファクスを送りまくり、電話をかけまくって、なんとかトムと会うことができたのが1996年のことでした。