加藤明美(ロンドン五輪女子ホッケー日本代表ディフェンダー)
チームの精神的支柱だった。安田善治郎監督の言葉を借りると、「女子ホッケー界の国宝」である。天理大2年の1990年に初代表となり、キャップ(国代表戦出場)数はロンドン五輪で「387」を数えた。41歳。いつも骨惜しみせず、全力プレーを心掛けてきた。
ロンドン五輪では1次リーグで1勝1分け3敗のA組5位となり、9、10位決定戦に回った。最後の南アフリカ戦、加藤もディフェンダーとして体を張った。延長の末、2-1で逆転勝ちした。
9位となった。北京五輪が10位だったから、1つだけ順位を上げた。試合終了後、フィールドの周りをウイニングランした。加藤は笑顔だった。
「勝って終われたからよかった。一度、代表落ちしていたので、代表に戻って、五輪のピッチに立てたことがうれしい」
日本が初出場した2004年アテネ五輪から08年北京五輪、そして今大会と3大会連続の五輪出場だった。
「オリンピックの舞台で1つ勝つというのは難しいこと。前回より順位が1つ上だけど、目標は6位だったのでちょっと残念かな」
今後は? と聞けば、即答だった。「引退ですか、とよく聞かれるけど、引退はしません。ホッケーはわたしの人生ですから」
ホッケーを取り巻く環境は過酷である。学校の校舎での雑魚寝や自炊生活など、「貧乏話」ばかりが脚光を集めてきた。ようやく代表にスポンサーが付き、少しずつ環境も改善されてきた。国宝は言う。
「五輪の舞台に照準を合わせて、一体となって強化していく必要があるのじゃないか。いずれメダルを取ってほしい」
五輪でメダルをとらなければ、ホッケーの将来はないと危機感を抱いているのだ。