大学卒業後の就職活動では1社も内定を得られず、絶望の淵に立たされた。世界初の電話相談サービスを立ち上げてからは、男性社会や制度の壁と戦い続けてきた。87歳を迎えた今も10センチのヒールを履き、深夜まで働く。戦う原動力は何なのか。連載「Over80『50年働いてきました』」8人目はダイヤル・サービス社長の今野由梨さん――。

日本のベンチャーの母

皇居のお堀の斜面を桜吹雪が舞い上がっていく。右上には日本武道館の黄金の擬宝珠。お堀の水面では水鳥たちが優雅に餌をついばんでいる。

都会の真ん中とは思えないような風景の中で、唯一、ぶち壊しなのが武道館の焼却炉の煙突である。

桜吹雪を背景に87年の人生を語ってくれた今野由梨さん
桜吹雪を背景に87年の人生を語ってくれた。(撮影=市来朋久)

「桑名から上京してきて70年近く経ったけど、ここに事務所を移すまで、東京にこんな自然の営みがあるとは知らなかった。でも、あの煙突だけは気になるわね。こんど小池知事にお会いしたら、こんなところでゴミを燃やしちゃいけませんよねってお知らせしておかなくちゃ」

お堀をバックにこう語るのは、日本のベンチャー企業の草分けであるダイヤル・サービスの社長、今野由梨さん、御年87歳である。

歩くスピードは30代社長室長より速い

「先日はシンガポールから孫泰蔵さんがやって来て、ちょっと顔見に行っていい? って言うからもちろん喜んでと言ったら何と、7時間も(笑)。泰蔵がね、『由梨さん6畳一間からよくここまで来ましたね。僕が創業した時は8畳一間だったから、僕の方が2畳広かったよ』だって(笑)」

ダイヤル・サービス社長 今野由梨さん
撮影=市来朋久
ダイヤル・サービス社長 今野由梨さん

オフィスの中には各界の大物と並んだ写真が何枚も飾られている。英国のサッチャー元首相とのツーショットもあれば、安倍晋三元首相からの感謝状もある。今野さんの著書『ベンチャーに生きる』(日本経済新聞社)には、豊田章一郎、松下幸之助、田淵義久、関本忠弘といった実業界の大物の名前が次々に登場してくる。

こうした大物たちと丁々発止と渡り合いながら、今野さんは「日本のベンチャーの母」と呼ばれる存在になったわけだが、いまだに深夜1時2時まで仕事をし、執務中はハイヒールを脱がない。歩くスピードは30代の社長室長(男性)よりも速いという。

「いつも、歩くのが遅い! って叱っているの。私、男を見るといじめたくなっちゃうのよ。社内では今野のセクハラと言われてます(笑)」