大手IT企業に転職して1年半、出産と同時に見つかった腫瘍。ステージ4の原発不明がんと告げられ、一時は絶望の淵に立たされた海野優子さん。それまで仕事に心血を注いできた彼女が、ただ1つ「生きたい」と願って取った行動とは――。
反射で母親の指を握る乳幼児
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「死ぬまでにやりたい10のこと」なんて考えられない

人生の最優先事項は「生き延びること」。

そう決めた先には、思い描く育児やキャリアの夢など、大事なものを手放さなければならない試練が待っていた。海野優子さんがステージ4のがん告知を受けたのは、34歳のときだった。

「実際に死にかけてみると、これからも生き続けることしか考えられない。『死ぬまでにしたい10のこと』を挙げて全部やろうとする映画もあるけれど、そんな気には全然なれなかったんですよね。命ある限りは『生きたい』という気持ちをずっと持ち続け、とにかく治療に専念しようと。人生を前へ進めるためには、大事だと思っていたことをいったん手放そうと決めました」

メルカリに転職前、女性向けウェブメディアを手がけていた頃。「働きづめ」の日々でも仕事が自分のアイデンティティーだった
写真=海野さん提供
メルカリに転職前、女性向けウェブメディアを手がけていた頃。「働きづめ」の日々でも仕事が自分のアイデンティティーだった

病気になる前の自分は「仕事」が優先。すべてが仕事につながるよう生かしたいと思い、どんな誘いも断らず、“営業”と割り切って人脈づくりに励んでいたという海野さん。なぜそこまで「仕事」にこだわっていたのか。

「私にとって、“仕事を頑張る自分”というのが大切なアイデンティティーでした。自分は何か得意なものや秀でたものがあるわけじゃなく、人より頑張らないと同じようになれないだろうという意識があって。でも、頑張ることなら人よりできると思っていました」