※本稿は、青木真兵『資本主義を半分捨てる』(ちくまプリマー新書)の一部を再編集したものです。
快適だった平成の「消費社会」
僕自身の子ども時代を振り返ると、資本主義に起因する「消費社会」の影響を強く感じます。1990年代にさいたま市の中心部で育った僕は、暮らしの風景が大きく変わっていくのを目にしました。ザリガニを獲ったドブ川は埋め立てられ、雨の日はぬかるむ土の道路はアスファルトに覆われ、道は拡張されていきました。家庭のテレビは「一家に一台」から「一部屋に一台」へと広がり、テレビゲームも携帯型が登場して「一人に一台」になっていきました。
ラジカセも一部屋にひとつが普通だったのが、ウォークマンの普及によって「一人にひとつ」が当たり前になっていったのです。こうした経験を思い返すと、1990年代はまさに消費社会の浸透が生活レベルで実感できるようになった時代だったといえます。そしてその変化を僕は当時、とても快適なものとして受け止めていました。
なぜなら僕は自分の好きなことをずっとしていたい人間だったからです。小学生の頃、地域のみんなで映画を観に行かねばならないことがありました。しかも作品は、僕の大の苦手なホラー映画。今思えば、なぜ小学生全員でホラー映画を観ることになったのか理解できませんが、とにかく集団行動が苦手だった僕は、ギリギリまで仮病を使って休もうとしたことを覚えています。
本当は家で好きなゲームをしたり、本を読んだりしていたかったのに、どうしてみんなと同じことをしなければならないのか。そんな疑問を常に抱いていました。だからこそ、一人ひとりが自分の好きなものを手にできるようになった「個人消費が拡大していく時代」は、僕にとって非常に快適なものだったのです。
消費や個人主義を支えていた「お金」
個人消費は「人それぞれ」という考え方と相性が良く、消費と個人主義は一体化して社会に広がっていきました。今振り返れば、僕は消費と個人主義が融合した社会の風を全身に浴びて成長したのだと思います。ただしこの個人主義は、誰もに平等ではありません。お金があれば膨らみ、お金がなければ縮んでしまう。つまり、個人主義の広がりはお金の有無に左右される仕組みのうえに成り立っていたのです。
では、そのお金はどうやって手に入れるのか。働くことで稼ぐしかありません。仕事を通じて得るお金が、消費や個人主義を支えていたのです。だからこそ働くことはお金を得ることであり、自らの労働力をより高い価値のつく商品にすることが自己実現であると語られてきたのです。そのためには受験勉強をがんばって学歴を高め、よい会社に入るための「自助努力」が必要とされました。
振り返れば1990年代から2000年代前半までは、自助努力がある程度は成果に結びついていた最後の時代だったのかもしれません。それは「自己実現」が声高に叫ばれた時代であり、その価値観の裏側には「自己責任」という重たい言葉が常に張り付いていたのですが、それにはすぐには気がつきませんでした。

