他者ニーズが“数値化”される現代
現代社会のつらさは、この自己ニーズが承認されていないところにあるように思います。本来、生き物は自己ニーズを満たすために生きており、それで十分なはずです。ところが現代社会では、他者ニーズに応えなければ人間として認められないかのように扱われてしまう。
しかし本当は、まず自己ニーズを持った生き物として存在を認められることが大前提であり、その上で他者ニーズに応えていく。その順序があって初めて、人は自分の足で立つことができるのではないでしょうか。
山村に移り住み自己ニーズの世界を知ったことで、逆に現代社会が他者ニーズによって満ちていることに気づきました。さらに深刻なのは、その他者ニーズが数値化され、可視化されている点です。
例えば僕自身の就職活動がそうでした。大学教員になるためには実績を積まねばなりませんが、その実績は単著や論文、翻訳といった成果ごとに点数が振られ、その合計点によってランク付けされてしまうのです。さらに「外部資金」と呼ばれる研究費の獲得額までが評価対象となり、どれだけの資金を研究に引き込めるかが業績として数え上げられます。
効率化により文化が消えていった
2000年代後半の大阪では、橋下徹氏が大阪府知事として実権を握っていました。彼は文化や芸術といった、本来は数値だけでは測りきれない価値を「来館者数」や「観客数」といった指標に還元し、その数字に基づいて予算配分を決定しました。市場原理を文化や教育、さらには医療や福祉の分野にまで持ち込もうとしたのです。
その結果、府立の国際児童文学館は2010年に府立中央図書館に統合され、独立した施設としての役割を失いました。また伝統芸能である文楽への補助金も、観客が少ないという理由で削減されました。さらに人権問題を扱うリバティおおさか(大阪人権博物館)は、来館者数が少ないことを理由に補助金が打ち切られ、2020年に閉館へと追い込まれました。美術館や博物館も入場者数や収益性で評価され、民営化や指定管理者制度の導入が進みました。
こうした政策は「無駄をなくす」「効率化を図る」というスローガンのもとで多くの市民から支持されました。その結果、行政や公共サービスが縮小され、市場原理に基づく運営へと移行していく流れが加速していったのです。

