ニューヨークで見つけた起業のヒント

ニューヨークでとあるコール・センターを見学し、その会社の女性社長と面談をしたことが、後に「電話を使ったニュービジネス」を起業するヒントになっていくのだが、今野さんはこの重要な経験と同時に、ニューヨークで奇跡的な出来事に遭遇している。

ニューヨークでの万国博覧会でコンパニオンの仲間たちと。右から3番目が今野さん。
ニューヨークでの万国博覧会でコンパニオンの仲間たちと。右から3番目が今野さん。(写真=本人提供)

今野さんは日本館のコンパニオンとして採用されたわけだが、100名近いコンパニオンの大半は、いわゆる名士の子女であった。ところが今野さんは、テレビのレポーターから原稿執筆までこなす才女だ。日本政府の担当者は今野さんの経歴をにわかには信じてくれなかったそうだが、面接でそれが本当だとわかると、今野さんを日本館の広報委員に抜擢したのである。

奇跡が起きた

広報委員はアメリカはじめ多くのメディアの取材に対応するのが仕事だ。ある日、アメリカのメディア界の偉い人が今野さんの元を訪れた。

「その方は車椅子に乗っていたんです。アメリカでは車椅子でもこんなに偉くなれるのかと驚きましたが……」

記者が今野さんに尋ねた。

「あなたは、日本のどこから来たの?」
「桑名という小さな町です」

すると突然、彼はバネ仕掛けの人形のように車椅子から今野さんに飛びかかった。そして、涙を流しながらこう言ったのだ。

「よく生きていてくれた!」と。

なんと彼は、桑名の町に焼夷しょうい弾の雨を降らせたB-29の元操縦士だったのである。戦後、罪の意識に苛まれて心身を病み、歩くことができなくなってしまったという。

今野さんは彼に向かって、あの「9歳の決意」のことを伝えた。すると彼は、あらゆる手を尽くして今野さんの決意を全米に伝えると約束してくれた。

「私のことを新聞の一面で大きく取り上げてくれただけでなく、私のオフの日をすべて調べ上げて、オフの日には必ず著名な方々の会合に連れて行ってくれました」

9歳の決意は、思いがけない形で果たされたのである。