しゃべらない若手が増えている。時代の風潮という見方もあるが、若手が異なる世代との接触の機会を失っているという構造的な問題であると筆者は見る。過去40年の婚姻の傾向からそれを検証する。

「薄く輪切りにされた世代」で集まる若者

最近の若者は、クラスの中でもおとなしいといわれる。自分から何かをしゃべるということをしない。同世代の仲間うちではともかく、先輩など世代がちょっと離れると、途端にしゃべらなくなる。そんな話をよく耳にする。

私が学長を務める流通科学大学のあるクラブで、先生が気を利かせて1年から4年の世代のあいだでの対話を促そうと討議する時間を設けた。だが、案に相違して、学生たちは意識的に学年間の接触を避け、学年別々に集まって討議を行ったという。

先輩ともあまりしゃべらないくらいだから、さらに年の離れた先生としゃべるとなるともっと難しいことになる。どこの大学の先生も、クラスで学生たちがうまく交流ができるよういろいろと工夫される。ひと昔前の先生ならこうはいかないだろう。今の大学の先生はやさしいのだ。

若者のこうした傾向に対して、「若者がしゃべらないのは、たまたま時代の風潮。世の中の気分が変わればまた変わる」とか、「ゆとり教育世代がそうなんで、世代が変われば」という意見もあろう。しかし、そうだろうか。かなり構造的な流れに思える。

すなわち、今の若者たちは、「薄く輪切りにされた世代ごと」に集まるようになっていて、その結果として、上下の異世代との接触を失い、その結果、世代が少し違うと途端にしゃべらない傾向が出てくる、のではないだろうか。そのあたりの話を、少しデータを使いながら問題提起をしてみよう。

いわば1年ごとに薄く輪切りにされた世代の存在を知るために、婚姻の傾向を調べるのが1つの方法だ。どれくらい世代が離れた人と結婚するかは、若者の付き合う世代の広がりを示す。