それが増えた理由には、いろいろなことが考えられる。その1つに、「見合い結婚」が減って「恋愛結婚」が増えてきたことがありそうだ。別の標本統計資料だが、65年前後に見合い結婚件数と恋愛結婚件数がクロスする(第13回出生動向基本調査)。それ以降、見合い結婚件数は減って、05年では全婚姻件数の6.4%にまで落ちる。
これまでのわが国において、異世代をつなぐ婚姻を促した要因として見合い結婚が重要であったことは疑いない。見合い結婚がほぼなくなり、異世代間婚姻の機会が減り、結果として異世代婚姻が減ったというのはわかりやすい。同じ類推でいうと、妻年上婚姻件数が増えるのも、恋愛結婚が増えるとともに、「夫が何歳か年上というのがふつうだ」という見合い結婚には浸透していた伝統的な規範が消えたからということになりそうだ。
見合い結婚件数の激減と夫年上婚姻件数の激減とは、軌を一にすることは確かだ。だがしかし、同世代婚姻件数が増えた理由を、見合い結婚の激減に求めてよいかどうかは少し慎重に考えたい。
というのは、異世代婚姻の減少は、わが国だけに起こっているのではなく、実は(見合い結婚の文化がないはずの)アメリカでも起こっているからだ。詳細な議論は省くが、その点は、ハワード・P. チュダコフ『年齢意識の社会学』(法政大学出版局、94年)に詳しく述べられている。先進国共通の現実とした場合、見合い結婚制度というわが国固有の制度に理由を求めるわけにはいかない。
第二に、異世代をつなぐ見合い結婚という制度の背景に、異世代を横断し連結する「コミュニティ」がそもそも存在していたということがありそうだ。世話好きのおばさんが昔はたくさんいたというだけで見合い結婚が成立するわけではない。おばさんたちが活躍できる場がそもそもあったということが大事だろう。
少しややこしい話になったが、簡単に結論を要約しておこう。
「異世代を横断するコミュニティ」。その影が薄くなり、「薄く輪切りにされた世代」が、それぞれ孤立して存在しているという現実がありそうだ。それが、婚姻件数構成割合の変化に如実に表れる。そして、その流れと軌を一にするように、「無意識のうちに、異世代との接触を忌避する」習性を、現在の若者たちに与える。それが、「(異世代と)しゃべらない若者」を生む。ちょっと「風が吹けば桶屋が儲かる」式の話になったが、そうした現代の若者の習性は、たまたまの現実ではなく、社会構造の変化に根差した構造的な趨勢ではないか。これが今回のひとまずの結論になる。