1990年代に実母の旧統一教会入信をきっかけに、自身も入信した冠木結心さん。合同結婚式で結ばれた年下の韓国人男性と日本で新婚生活を始めるが、夫は働かず、そのうち暴力を振るうようになった。冠木さんが過ごした「地獄の日々」とは――。(後編/全2回)
※本稿は、冠木結心『カルトの花嫁 宗教二世 洗脳から抜け出すまでの20年』(合同出版)の一部を再編集したものです。
仕事を見つけてあげてもすぐやめてしまう韓国人夫
(前編から続く)
雨の合同結婚式から、3年の月日が過ぎました。聖別期間も終わり、私たちは家庭出発することを許されました。私が24歳、夫は22歳の時です。
二人だけでアパートを借り、そこで新婚生活をスタートさせました。日本語のできない夫には仕事がなかなか見つからず、祖母が頼み込んで見つけてくれた近所のリサイクル業者や、ハウスクリーニングの会社に採用が決まったりもしましたが、長続きせず、あっさりと勤務先を辞めてきてしまうのでした。
そんなヒモのような生活が1年ほど続いた頃、夫はコンピュータをいじるようになり、しばらくして「パソコンのセッティングの仕事がしたいから、移動用のオートバイがほしい」と言い出しました。言葉の問題を含め、生活のすべてがストレスであることを思いやり、私は夫の望むオートバイを購入しました。何より、少しでも働く意欲を取り戻してほしい……、夫を信じたいという思いがありました。
のちに夫は「Hondaのオートバイに乗って新宿の街を走っている俺は、まるで雑誌の中にいるようで、夢にまで見た光景にステータスを感じた」と言っていました。幼い頃から日本のオートバイが好きだった夫には、さぞかしうれしかったのだろうと思います。