教義で禁じられている酒もタバコも続けていた
私の期待をよそに、夫は、夜な夜な新宿に繰り出すようになりました。新大久保のあたりには、その頃から韓国人のコミュニティがありました。そのうち毎晩そこに通うようになった夫は、韓国でPCバン(※)と呼ばれるネットカフェをセッティングする仕事を始めました。今でこそ日本にもたくさんのネットカフェがありますが、当時はとても珍しく、ほとんどが韓国人オーナーからの依頼でした。
※PCはパーソナルコンピュータの略、バンは韓国語で部屋・房の意。インターネットカフェに近い施設。
最初は自分で四苦八苦しながら、仕事を見つけてきては少しずつ生活費を入れてくれていましたが、しばらくすると生活は不規則になっていき、家に帰って来る時間はいつも朝方。お酒の匂いをプンプンさせながら酒気帯び運転をするようにもなったのです。統一教会では飲酒と喫煙を禁じています。でも夫は隠れてずっと続けていたようです。結婚できた夫にとっては、もう隠す必要もなくなったのでしょう。東京に来て、今までとまったく違う世界を知ってしまった夫は、すべてに興味が湧き、すべてが楽しかったに違いありません。
理解しようと思ってはいても毎晩涙が止まらなかった
私は、夫の身勝手な行動に対しても「今まで不幸な生活をしてきたのだから」と夫の身の上を理解しようと努めつつ、現実は毎晩のように泣いていました。こうしてバラ色だったはずの新婚生活は、思ってもいなかった方向へと変貌していきました。
私はその当時、ミスをすれば新聞沙汰になるような特殊法人の下請けで、重要な仕事に就いていました。すべては「み旨(※)」のためだと一生懸命に働きました。そして24歳で、管理職であるスーパーバイザーに抜擢されました。職場ではいつも神経を研ぎ澄ませ、月末は毎月のように残業です。それでもお給料が少しでも多く貰えることに感謝し、生活を維持できることに感謝しました。
※おぼしめしの意。キリスト教の言葉だが、統一教会では神様が宇宙をつくった創造理想、すなわち創造目的を完成すること。