日本の製造業が「負けた」理由とは

かつての日本の製造業はエレクトロニクスや自動車を中心に絶倫の貿易競争力を誇った。猛烈な円高が進行しても貿易黒字が一向に減らなかった1980年代がその全盛期であり、日本の1人当たりGNPを上昇させ続けた95年前後がそのピークだったといえる。

それから15年、黒字の稼ぎ頭だったエレクトロニクス産業は韓国や台湾勢に追い抜かれて、今やすっかり後塵を拝している。自動車もホンダは現代に抜かれ、トヨタは得意の品質と電子制御で躓いている。

日本の製造業が“負けた”理由は何か。一つは日本のモノづくりを支えていた「産業構造」が崩れたからだ。

日本の製造業はメーカー、下請け、二次下請けからなる三層の産業構造に成功の秘訣があった。下請けの中小企業が集積している産業クラスターといえば東京都大田区や大阪府東大阪市、静岡県浜松市や長野県諏訪湖周辺などが有名だが、最高レベルの部品を何から何まで内製できるシステムを持っているのは世界でも日本くらいのものだった。トヨタは工場周辺50キロメートルに系列の部材メーカーを集め、在庫を持たずに生産ラインに合わせて即納させるという「ジャスト・イン・タイム」の生産方式を編み出したのである。

しかし貿易摩擦や円高でメーカーの海外生産、生産拠点の海外移転が進むと下請けメーカーも海外に出て行かざるをえなくなり、90年代後半には海外進出が加速。結果、国内の下請け業者は激減し、大田区には最盛期8000を超えた中小企業が今や3000社ほどに。かくして日本のモノづくりを支えてきた産業クラスター構造は急速に崩れてしまった。

日本の製造業が負けた理由はそれだけでない。日本の産業構造が変容していった90年代の同時期に始まったのが「デジタル化」である。95年以降、日本でもパソコンや携帯電話、インターネットが爆発的に広がった。