アメリカは「食糧援助」で日本を仲間に引き込んだ

第二次世界大戦後、米国政府は必要以上に生産した小麦や大豆を「食料援助」も利用して日本や途上国に輸出増加しました。まずは戦後の飢餓時代に飢える子どもたちを「援助」するという意味もありましたが、しだいに、米国農産物の海外市場を開拓すること、そして冷戦が激しくなると、途上国を仲間に引き込むという戦略的な意味も持つようになりました(第二次世界大戦後、世界は米国を中心とする西側陣営と、旧ソ連を中心とする東側陣営とに二分された「冷戦」が半世紀ほど続いていたのです)。

敗戦後、米国の支配下に入った日本にも、米国産の小麦や大豆が流入しました。戦後直後には、パンと脱脂粉乳を中心とした学校給食によってパン食を広める動きもありました。やがて日本が復興するにつれて、穀物・油脂・砂糖・動物性食品(肉や乳製品)を多用する食品産業が発展し、日本でも多くは米国ら輸入した穀物・油糧種子を原料とする食品の消費が増加されました。

パン
写真=iStock.com/kuppa_rock
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トウモロコシが原料の「高果糖コーンシロップ」の利便性

海外に市場を拡大する努力と共に、今までなかった新しい食べ方や新商品の開発によって、国内外の食料市場において、より大量に食べさせる(食品を買わせる)懸命な努力もなされました。そのために、政府と企業がどれほど努力して人々の食生活を変えてきたか、『デブの帝国』というちょっとビックリする題名の本を参考にみてみます。

一例に、戦後米国の農業政策などによって、大量生産されるようになったトウモロコシを原料に、新しい甘味料が大量生産されるようになりました。じつはある日本の食品科学者が1971年に発見した技術ですが、とくにトウモロコシ大生産国の米国で、この甘味料を効率よく生産する方法が工業化され広まりました。

日本では、「異性化糖」や「ブドウ糖」と呼ばれることも多い、高果糖コーンシロップ(HFCS:high-fructose corn syrup)です。これがインスタント食品など加工食品の発展につながりました。

この糖分は、砂糖より安い甘味料ということに加えて、食品製造業者にとって何かと都合の良いものだったのです。冷凍食品に使うと冷凍焼けを防ぐことができる、長期間陳列される食品には味を新鮮なままに保つことができる、パンや菓子がいつまでも焼き上がり状態に見えるという嬉しい特徴も兼ね備えていました。安くて液状の糖分であるため、ソフトドリンクにとっても好都合でした。この新しい甘味料は、1970年代後半から広く使われるようになり、私たちの身体に入り込んできました。

手元にあるペットボトルの表示をみてみてください。「果糖ブドウ糖液糖」などと記載あれば、トウモロコシから作られたHFCSの可能性大です。