和食に見える食事にもトウモロコシは大量に入り込んでいる
トウモロコシは、現代の畜産業において、家畜の飼料(エサ)として大量に使われています。かつては庭先で虫や草の種子を自分で探して食べていた鶏(「ニワのトリ」)も、裏庭に数頭つないで畑や台所の残り物を与えて肉を得ていた豚も、本来は草を食べて4つの胃で消化する身体を作っていた牛も、「動物工場」ともいえる建物の中に閉じ込めると、外からエサとして穀物を投入する必要がでてきます。
このような穀物のエサを家畜に与えて肉に加工するような畜産業を「加工型畜産」とも呼ぶ人もいます。動物たちのふん尿も、かつては土に戻して作物を育てる地力維持に役立っていたのに、動物を閉じ込めることで大量に排出されるふん尿は環境破壊要素となってしまいました。
結果、トウモロコシは加工食品や動物性食品に姿を変えて間接的に大量消費されるようになり、現在の米国人は「歩くトウモロコシ」ともいわれるほどになりました。その名も『キングコーン』(アーロン・ウルフ監督、2007年)という映画を見ると、いかにトウモロコシが産業用に大量生産され、ありとあらゆる食品に入り込んでいるか、わかるでしょう。
ちなみに、最近までこのトウモロコシを世界一大量に輸入していた国は日本でした。そんなに毎日トウモロコシ食べてないけれど? と思う人が多いと思います。
焼きトウモロコシや粒が見える形でトウモロコシを食べることは少なくても、より多くのトウモロコシが肉や油、スターチや甘味料、その他の食品添加物として私たちの食生活に入り込んでいるのです。実は、日本人も調べてみたら身体の炭素の4割がトウモロコシ由来だったという実験結果もあります。
一見、和食に見えるメニューにどれだけトウモロコシが入り込んでいるか、わかるでしょう。私たちも、多くは米国産の「歩くトウモロコシ」なのかもしれません。
安くて高カロリー食品だらけの時代の到来
同じく米国で大量生産した大豆は、味噌や醤油を作るより、納豆を作るより、ずっと多い量の大豆が油と粕を生産する原料として使われています。大豆も食用油やいろんな添加物として多種多様な加工食品に入り込み、大豆粕は家畜のエサとして肉の大量生産に使われるようになりました。
さらに、大豆粕とトウモロコシの価格低下により、それらをエサとして肉や乳製品など動物性食品を安く大量に生産できるようになりました。かつて肉は、欧米でもときどき食べる程度の貴重な食べものだったのに、それがより安価に頻繁に食べられるようになり、ハンバーガーなどファストフードを含む外食産業の発展も支えていったのです。
戦前から戦後にかけての農業政策に支えられ、小麦、大豆、トウモロコシが大量生産され、それらを原料に食品製造業や加工型畜産が発展して、加工食品や動物性食品が大量生産されるようになりました。
加えて、それらを大量に流通するスーパーマーケットやコンビニという新しい形の小売業や、ファストフード店など外食産業があわせて発展しました。
『デブの帝国』いわく、「スーパーマーケットに並ぶ高カロリーのインスタント食品が、それまで以上に手の届きやすい値段になっていった。ますます余剰量が増えていく米国産トウモロコシからつくられる高果糖コーンシロップのおかげで、冷凍食品製造のコストは下がり、次々に商品がつくられた。TVディナーや、マカロニチーズの冷凍品はじつに安くなった。ファストフードの店では、客に出す一人前の量が多くなった。フライドポテトはぐっと味がよくなり、安くなった」(p.31)。
つまり、大量生産・大量加工・大量流通・大量消費の構造が形成され、「安くて、豊富で、おいしい高カロリー食品がいっぱいの時代が到来した」(p.31)わけです。
こうして、「肥満は国民的な病気」(p.6)と宣言されるまでの「デブの帝国」が出来上がっていきました。この過程で利潤を得たのは、農民や消費者だったでしょうか? むしろ、穀物商社や食品製造業、小売業、外食産業など、資本主義的食料システムを構成する産業群だったと思いませんか?