阪急電鉄をはじめとする阪急阪神東宝グループの創始者、小林一三は独創的な経営者として知られる。作家の福田和也さんは「阪急電鉄の前身である鉄道会社の経営を委ねられた際、事業展開を記したパンフレットを作成し、大阪で配って宣伝した。これぞ彼の面目躍如というべき企画だ」という――。

※本稿は、福田和也『世界大富豪列伝 19-20世紀篇』(草思社)の一部を再編集したものです。

小林一三
写真=時事通信フォト
阪急電鉄をはじめとする阪急阪神東宝グループの創始者、小林一三

世界的にも類例のない、独創的な経営者

近代日本の経営者、財界人のなかで、最も独創的なのは誰だろうか――。

明治以来、あまたの財界人が澎湃ほうはいと登場した。松下幸之助、渋沢栄一をはじめとして、岩崎弥太郎、益田孝、中上川彦次郎、原三渓、松永安左衛門……。

それぞれが強力な個性をもち、価値ある事業を作り上げた人物だが、こと独創的ということになると、評価は難しい。

彼らは欧米の経営者たちが作り上げたビジネス・モデルを真似て、わが国の文化、風土に馴染むように手を加え、適合させた。資源も金もないわが国を、一流の工業国、貿易国にした、先人たちの偉業は尊敬に値する。とはいえ、その「偉業」が輸入品であり、コピーであり、模倣品だったということもまた、否定できない。

そんな中で、只一人、世界的にも類例のない、独創的な経営者と、正面から呼ぶことができるのが小林一三である。

現在、鉄道のターミナルと百貨店を結合するのは、ごく当たり前のことだ。今日では一般化したこのモデルを世界で初めて創始したのが、一三である。一三はさらに沿線にサラリーマン向け住宅を建てて分譲し、阪急電鉄の終点に宝塚歌劇劇場など娯楽、観光施設を建てている。百貨店、鉄道、不動産、娯楽という事業は、たしかに個別には存在していたが、その要素を緊密に結びつけた一三は、やはり「天才」の名に値する企業家といえるだろう。

一三は電力事業や製罐せいかん、製鋼、化学産業にも関わっている。映画、演劇といったソフトから、重工業にいたる、事業のレパートリーの広さは、やはり絶後と、言うべきだ。第二次近衛内閣の商工大臣、幣原しではら内閣の国務大臣兼復興院総裁として、二度、閣僚を務めている。