ソニーの創業者の一人で、三代目社長の盛田昭夫氏は「学歴不問採用」を打ち出していた。その採用面接ではいったいどんな質問がされていたのか。ノンフィクション作家の野地秩嘉さんが書く――。

※本稿は、野地秩嘉『あなたの心に火をつける超一流たちの「決断の瞬間」ストーリー』(ワニブックスPLUS新書)の一部を再編集したものです。

ソニー創業者の井深大氏(右)と盛田昭夫氏
写真=時事通信フォト
ソニー創業者の井深大氏(右)と盛田昭夫氏(左)

マイケル・ジャクソンの踊りの才能を評価できる力

ソニーの創業者、盛田昭夫の自宅に招かれたことがある。本人はすでに亡くなっていたが、伴侶の良子は健在だった。それより以前のこと、良子にインタビューしたことがあって、「遊びに来ない?」と誘われたのである。

盛田家は目黒区の高級住宅街にあった。個人住宅としては大きな家だったけれど、他を圧するほどではなかった。その辺りには盛田家よりもはるかに敷地の広い家がいくつもあったのである。

自宅に飾ってあったものは故人と世界のセレブとの写真、そしてサインだった。あらゆる部屋に写真立てがあり、盛田とセレブの笑顔があった。とりわけ枚数が多かったのが、指揮者のカラヤンとマイケル・ジャクソンである。

写真を指さしながら、良子は説明をした。

「日本に来たら、マイケルは必ずうちに寄って、食事をしたり、音楽を聴いたり……。主人はマイケルが大好きでした」
「盛田さんはマイケルのどこが好きだったのでしょうか?」
「そりゃ、もちろん才能よ」

聞いてみると、盛田は次のように話していたという。

——マイケルはそれまでのシンガーとは違って、歌う、作詞作曲するだけにとどまらず、自分で振り付けを考えて、誰よりも上手に踊ることができる。そういう才能は彼しか持っていない。

「スリラー」のPV(1983年)が出たとき、盛田は62歳(1921年生まれ)。大正生まれの人間でも、マイケル・ジャクソンの踊りの才能をきちんと評価できたのである。

盛田の特筆すべきところは、「他人への評価」であり、「他人から才能を見いだす」ところにあった。出自、国籍、学歴などにとらわれずに、人間の才能を素直に見ることができた。

盛田昭夫という人物の本質とはそこにあり、「人間を信じる」こと、「人間の才能を愛する」ところから、いくつもの大きな決断が生まれている。