「泥棒はソニー以外の商品には手も触れなかった」
1961年、都内のある菓子店が堂々と「ソニー・チョコレート」と名付けた商品を販売した。盛田はすぐに不正競争防止法違反だとして提訴した。
解決まで4年の時間を要したが、菓子店は商号の使用をやめ、チョコレートの販売も中止した。盛田は自分が確立したブランドを守るためであれば、ちょっとしたことでも見逃さなかったのである。
彼が守ったソニーブランドだが、実は不振だった時代でも価値は衰えていなかった。
さまざまな調査があるけれど、ソニーに対する信頼は海外では不変のものがある。
そんな彼がブランドを語る際、気に入って紹介していたエピソードがある。
これもまた、ニューヨークでのことだった。人気になっていたポケッタブルラジオ4000個が倉庫から盗まれたことがあった。ソニーにとっては災難だ。
ただ、その倉庫には商売敵のラジオもまた在庫されていたのである。泥棒はソニーの製品だけを盗んでいき、競争相手のラジオはそのまま残されていた。
「泥棒はソニー以外の商品には手も触れなかった」
アメリカのメディアはこのことを大々的に報じた。盛田は自ら下した大きな決断よりも、こちらの方のエピソードを好んでいたふしがある。関係者のなかには、本人がこの話を楽しそうに語ったのを覚えている人がいるからだ。
ソニーに限らず、ブランドとは背景にさまざまな物語がひそんでいる。盛田が非凡だったのは自らの言葉で、自慢話ではなく、ソニーブランドについて、語ることができた点だろう。