「ゴミ屋敷」に住む人の多くは孤立している。そして「人に迷惑をかけられない」として、黙々と自宅にゴミをため込んでしまう。約20年前に夫を亡くした80代の独居女性の家は、「生きる意欲」が感じられない状況に陥っていた――。(連載第16回)
3日間の作業を終えた廊下。ここにもうずたかくごみが積まれていた。
撮影=今井一詞
3日間の作業を終えた廊下。ここにもうずたかくごみが積まれていた。

元教員の男性は、こざっぱりした身なりで笑っていた

前回から続く

元教員男性の家は、単なるゴミ屋敷というより“底なしの暗さ”を感じた。

【連載】「こんな家に住んでいると、人は死にます」はこちら
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トイレ、風呂、台所――人が生きる上で欠かせない生活空間に、「ただ物がたまってしまった」というより、まるで生きることを放棄しているようだった。風呂場には歯ブラシが何本も投げ捨てられている。トイレには便がべっとりとついている。なぜこれを片付けようと思わなかったのだろう。そして最もひどい状態だったのが、2階である。

積み重なった飲料の山に、食べかけのインスタント食品――それらの中身がこぼれて異臭を放っていた。それもただの生ゴミ臭とは違う。ねずみの姿を見かけたから、おそらく動物の尿の臭いと入り交じっているのだ。ゴミ山の頂上には男性が寝ていたと思われる布団が敷かれていた。

元教員宅で、主に生活スペースとして使われていた2階の部屋。
撮影=今井一詞
元教員宅で、主に生活スペースとして使われていた2階の部屋。

「これ、もうゴミが土に還っているよね」

同行してくれた写真家の今井一詞さんが、空き缶の山から引っ張り出したカバンを指さして言う。たしかにカバンの端が溶けて、土っぽくなっていた。一階を片付けている時、作業員が「まるで外にいるようだ」と話していたが、そう、ここは家全体に「家」として感じられる“安心感”がなかった。生ゴミが積まれていたり排泄物が転がっていたりする時に感じる「汚い」にとどまらず、この空間にいると、こちらの心が蝕まれていくようだった。

2階で作業をする様子。うずたかくゴミが積まれているため、頭を屈めないと立つこともできない。
撮影=今井一詞
2階で作業をする様子。うずたかくゴミが積まれているため、頭を屈めないと立つこともできない。

元教員の男性は、作業を始める前に私たちに挨拶に来た。こざっぱりした身なりで、穏やかな笑みを浮かべていた。あとからこの家の住人だと知った時、作業員の誰もが驚いたほどである。