「どうすればいいのだろう?」と場面ごとに考えさせる

“選手一人ひとりを大切にする”ことの要は、一人ひとりに自分の頭で考えさせることだと、私は解釈しています。集団として管理しやすいという理由から、皆と同じことをさせたり、柔軟性のない一律の物差しで「そこからはみ出ている、はみ出ていない」というような判断をするのではなく、各個人の考え方や体格などの個性を尊重した指導にあたる必要があります。

つまりは、一人ひとりに違いがあることを認めた上で、大切にするということ。その“大切にする”とは、考える習慣をきちんと身に付けさせることが、私なりの答えです。

慶應義塾高校野球部
写真提供=東洋館出版社

「こちらの言うことだけを聞け」と言うつもりはまったくなく、「隣と同じことをしていればいいんだよ」ともまったく思っていません。「どうすればいいのだろう?」と、その場面ごとに考える習慣を付けさせることが、一人ひとりを大切にすることなのではないか、というのが私の考えです。

高校野球の現場において「俺たちが主役だ」と思えるかどうか

慶應義塾高校野球部の選手たちが生き生きと野球に取り組めているかどうかは、親が子どもを客観的に見られないのと同じで、私自身では正確に判断することはできません。しかし、少なくとも周囲の方々からそう見えれば嬉しいですし、そういうチームを目指しています。

森林貴彦『Thinking Baseball 慶應義塾高校が目指す“野球を通じて引き出す価値”』(東洋館出版社)
森林貴彦『Thinking Baseball 慶應義塾高校が目指す“野球を通じて引き出す価値”』(東洋館出版社)

その選手がレギュラーであっても、そうではなくても、一人ひとりが毎日、「今日も野球がやりたいな」と生き生きとした気持ちでグラウンドに来てくれることが理想です。なかなか簡単にはいかないところもありますが、少なくともそういうチームを目指して日々、活動しています。

大切なのは、選手たちが高校野球の現場において「俺たちが主役だ」と思えるかどうか。選手あっての高校野球だと選手自身が思えなければならず、そのためには指導者が呪縛を解いてあげなければいけません。指導者は選手一人ひとりが輝くために、それを手助けするだけの存在に過ぎず、特別に偉いわけでもなんでもありません。

指導者はそういう認識に立たなければいけませんし、選手にも、自分たちが主体的に取り組んでいるという実感を持たせてあげる。伝統やこれまでのやり方に縛られるのではなく、自分がやりたくて野球をやっているんだと選手が実感できるようにすることが、これからの高校野球を考えていく上でもっとも大切なことと言えるでしょう。

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