自分の考えがない人は、他人もきっと考えていないと発想する

同じ神奈川県内でも検討している学校はかなり多く、「早く変えたほうがいいですよ。あとからでは皆の後追いになりますから」とアドバイスすることがあるのですが、それくらいのスピードで変わっていくのではないかと想像しています。“高校野球は坊主頭”という固定観念を持った人が一定数いたとしても、一度、流れが変われば、浮動層はその流れに抗えないように思います。

頭髪の話題一つとっても、指導者が思考停止で何かを押し付けてしまうことは、選手の主体性を奪う行為だと言えます。慶應義塾には、「独立自尊」という言葉があります。周囲の意見に左右されず、自分の足で立ち、自分の目や耳で情報を集めた上で、自分自身の考えをきちんともつという意味です。そして自分の中に独自の考えがあることを自覚できれば、周囲の人間にも彼、彼女なりの考えがあるということが理解でき、結果として、他人を尊重できるようになります。

慶應義塾高校野球部
写真提供=東洋館出版社

それとは逆に、自分の考えがない人は、他人もきっと考えていないという思考に陥りがちです。「この子たち、そんなことを考えているわけがないんですよ。言っても無駄なんです」というような発言をする指導者には、この傾向が強く出ます。

「自分が高校生のときは、意見をもつなんていうことはなかった。だから、いまの選手も考えや意見をもつはずがない」と思い込み、練習メニューを独断で決め、半ば強制的にやらせて、それが勝利のための近道だと信じ込んでいるのです。

選手が反論でもしようものなら、頭ごなしに否定、叱責する

もし、選手が反論でもしようものなら、頭ごなしに否定、叱責する。これでは選手は萎縮するだけで、ますます自分の意見を持たない人間になってしまいます。それはやはり間違いで、人は皆それぞれの意見があって当たり前という前提に立たなければならず、そのためには、まずは自分自身が意見や考えを持たなければいけません。

ただし、いま私がそう思えるようになってきたのは、学校を卒業し、社会人として生きていく中で徐々に得られたものですから、高校生の年代で成熟するはずがありません。だからこそ、高校時代から少しずつでも伝えていくことが大切で、いますぐには完璧な理解ができなかったとしても、大人になるにつれて、あるいは大人になってから真意を理解してくれればよいのです。そういう意味でも、目先の結果を求め過ぎないように注意しなければいけないのです。

これからの高校野球の在り方を考えていく上で、考えておくべき根源的な問いは、「高校野球は誰のものか」というものです。そして、ここまで読んでこられた読者の皆さんが察している通り、その答えは「選手のもの」です。それを実現するためには、指導者が、選手一人ひとりを大切にするという姿勢をもつ必要があります。