アメリカで議論沸騰「大学無用論」の背景

たかが大学、されど大学。時代が急変する中、大学の意味が問われている。

ピーター・ティール氏は、フェイスブックに初期投資をしたことでも知られる。(AFP=時事=写真)

アメリカの投資家で、「ペイパル」の創業者であるピーター・ティールさんは大学批判の急先鋒である。

思想的には、個人の自由を重視する「リバタリアン」の立場であるティールさんの批判はすべて正しいわけではもちろんないが、ITや人工知能が急速に発展する時代における「大学」の意味を考えるきっかけになる。

ティールさんは、そもそも大学は「投資」なのか、それとも「消費」なのかと問う。大学で学ぶことで将来の仕事や人生に役立つスキルや知識を得るという「投資」なのか、それとも、4年間続く「パーティー」に参加するという「消費」なのかと。

ティールさんは、既存の大学が、そこに入る人を制限することで価値を生み出す限られた者だけの「クラブ」になっていることも批判する。特に、アイビーリーグと呼ばれる大学は、特権的なクラブになってしまっていると。

大学は、果たして「投資」なのか、「消費」なのか、それとも「クラブ」なのか。恐らく、どの側面も少しずつあるというのが正解なのだろう。

大学で学ぶ知識やスキルは確かに役立つ側面があるから、それは1つの「投資」なのだろうし、学生生活は楽しいことも多いから、「消費」ともいえるのだろう。また、同じ大学の卒業生の間では連帯感や相互扶助のようなこともあるという意味では「クラブ」でもあるといえる。

問題は、その大学がある種の「高等教育バブル」の中で自己満足していることだとティールさんは批判する。アメリカの大学の学費は上がり続けている。多額の学生ローンに苦しみ続ける人も多い。