日本は「自分を持つ」のが難しい社会です。学生、社会人にかかわらず「自分」を育てない環境がある。学校や習い事で、「自分の意見を持ちましょう」などと教えられたことはありませんか? しかし、そんな問いかけ自体、まさに自発性を認めていない前提から発せられているわけで、実に矛盾に満ちたものです。

大人にも「反抗期」がある

自分を持つには、従順さが邪魔になるところがあります。従順さを美徳としてきた日本では、「反抗」は、ともすれば悪と見なされ、その意義があまり認められてきませんでした。しかし、信念を持つには、たとえば会社や上司から押し付けられる常識を、疑ってみることも必要です。反抗としては、赤ん坊のイヤイヤ期や、10代の思春期はよく知られていますが、大人だからこそ考えたい「反抗期」があるのです。

哲学者のニーチェは『ツァラトゥストラはかく語りき』で、こう言っています。「人はラクダから変身して獅子になり、小児になる」。ラクダとは、従順・勤勉の象徴。一人前の社会人といったところでしょう。リクルートスーツを着て、「御社のために」と頭を下げる就活生は、まずはラクダを目指しているわけです。

ニーチェは、このラクダは「龍」によって支配された存在だといいます。龍は、思春期であれば親や先生でしょうが、大人の反抗期では、世間の常識だといえます。しかし、受け身なラクダから、龍を倒すために、人は獅子になる。つまり「自分」を取り戻す最終決戦に臨むのです。

では、どうやって獅子になるのか。それは、「本当にそうか」「それでいいのか」という問いかけを続けることにほかなりません。この最終決戦は、30代以降に訪れるもので、ここで人生が大きく分かれます。その先の小児とは、無邪気で純粋な遊び心を持った、成熟したクリエーティブな状態を表しています。