表紙の古びたモノクロ写真には、何やら因縁めいた重苦しさが漂っている。そう感じさせるのは、それが「西武王国」を築いた堤康次郎と、彼が囲った日陰の“家族”だからなのかもしれない。

児玉 博(こだま・ひろし)
1959年、大分県生まれ。早稲田大学卒業。フリーランス・ジャーナリストとして主に総合誌、ビジネス誌で執筆。主書に『“教祖” 降臨 楽天・三木谷浩史の真実』『幻想曲 孫正義とソフトバンクの過去・今・未来』がある。

真ん中に立つ壮年の康次郎の手前に座る和装の女性は3番目の妻・青山操。左端は康次郎の娘・邦子、そして右端の昏い眼をした少年が、康次郎の次男で、1980年代に一世を風靡したセゾングループの総帥・堤清二である。

本書は、2016年の大宅壮一ノンフィクション賞(雑誌部門)を受賞した短期連載「堤清二『最後の肉声』」(月刊「文藝春秋」)に加筆し、書籍化したものだ。

「清二の母や親族の話も書き加えています。亡くなる直前のインタビューなので“遺言の聴き取り人”を引き受けたような気分です」

表紙写真の撮影当時に12歳だった清二は、狭い家に時々やってきて“母”を簒奪する父を憎悪し、屈折を押し殺して多感な少年期を過ごす。稀代の実業家として知られた康次郎が、時に無法で財を成し、禁忌の性も厭わぬ放埓な性癖の持ち主でもあったことは広く知られている。本書でも操の姉妹に手を付けたことが清二の口から語られる。

康次郎の後継者として西武グループの頂点に君臨した異母弟の義明は、証券取引法違反などで2005年に逮捕・起訴され、有罪が確定した。グループ再編の要に銀行が入ったとき、すでに実業家を引退して「詩人・作家の辻井喬」に転身していたはずの清二が、再編劇の表舞台に登場する。

なぜ財界に戻ったのか。著者は12年の夏、初めて清二にインタビューした。

「復帰の理由を『父との約束だから』と。驚きましたね。自分が継いでいたらこんなことにはならなかったとも。物凄い記憶力で、話も理路整然。絶対的な自信を感じました」

ところが、取材が回を重ねるうちに、清二が漏らした意外な科白に著者は言葉を失う。「85歳の老人がこう言うんです。『父に愛されていたのは自分なのだ』と。妄想です。赤子が最後まで乳房をまさぐりつつ泣いているような、そんな憐れさを感じました」

静かな狂気を滲ませ、暴君だった父への求愛を露わにする最晩年の清二の姿は、血にまつわる堤家の悲劇を想えば、思わず肌に粟が生じるのを禁じえない。

(永井 浩=撮影)
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