時代の変化を見据え、巨額の資産をつくった5人の日本人から私たちが学べることは何だろうか。

100年という期間は長いようで短い。日本人の平均寿命はまだ伸びる可能性が高く、人生設計もロングタームの視点が必要となってきている。だが100年の間には、様々な出来事が発生する。20世紀の日本を例に取っても、2回の大きな戦争と4回のバブル相場、そして2回のデフレを経験している。一生の間に、多くの人が、1回か2回は歴史的出来事に遭遇するのである。

時代の変化はリスクでもあるが、チャンスでもある。このようなとき、人々はどう行動し、資産を築いてきたのだろうか。ここでは5人の日本人を取り上げ、20世紀におけるマネーの教訓について考えてみたい。

「戦争」は資産形成の機会となる

国家が直面するもっとも重大な出来事のひとつは戦争である。日本は20世紀において、日露戦争と太平洋戦争という国家の行く末を左右する大きな戦争を経験している。自身が直接関与しない戦争という意味では、第一次大戦と朝鮮戦争という経験もある。戦争は外交の最終手段であり、何としても回避すべきものだが、一部の人にとっては資産形成の機会になっているのも事実である。

日清戦争と日露戦争では大規模な株価バブルが発生し、多くの資産家が誕生した。福沢諭吉の娘婿であった福沢桃介もその一人で、一連の相場を通じ、現在の価値に換算すると数十億円という巨額の資産を手にしている。桃介氏は、毒舌家としても有名で、歯に衣着せぬ発言でたびたび物議を醸していた。今でいえばホリエモン的な存在だろう。だが彼の偉大なところは、株で儲けた資産を惜しみなく電力事業につぎ込み、現在の中部電力の基礎を築いた点である。相場師であった野村徳七も、これらのバブルで得た資金を元に現在の野村証券グループの前身となる企業を設立している。

(右)福沢桃介(1868~1938年)●日露戦争後の相場で財を成し「電力王」に(左)野村徳七(1878~1945年)●日露戦争、第一次世界大戦で財成し野村グループ創設(写真=時事通信フォト)

一方、無能な軍部の暴走によって財政的、外交的準備もないまま開戦に突き進んだ太平洋戦争では、日本は破滅寸前の状況まで追い込まれた。総額で国家予算の70倍という天文学的な戦費は、日本経済に制御不能の準ハイパーインフレをもたらすことになる。政府は預金封鎖と財産税という強硬手段でこれに対処したため、現金で資産を保有していた富裕層は、ほぼすべての財産を失ってしまった。