戦後の経営者には言動や所作を真似したくなるような、堂々たる紳士も少なくない。以下に紹介するのは、財界史を彩ったジェントルマン経営者の肖像である。
なぜ「タケオだけは格別」なのか
事業構想大学院大学学長、多摩大学名誉学長、財団法人日本総合研究所会長など……。85歳の現在も多数の要職をつとめる経営学者の野田一夫が「いちばんの親友」といい、話題にするたび相好を崩すのが日本IBM社長・会長を歴任した椎名武雄だ。
野田は企業成長論とともに経営者論を専攻し、ニュービジネス協議会の初代理事長をつとめるなど経営者たちとの交友関係もたいへん広い。そんな野田は「ふっとその顔を思い浮かべただけで心が和む友人が多い」というが、なかでも「タケオだけは格別だ」と断言する。椎名のどこが野田の心をつかむのだろうか。
椎名は1929年、岐阜県生まれ。父方のルーツは東京だが、父が関市の洋食器メーカーの経営者になっていたため小学校卒業までは岐阜で過ごした。普通部(旧制中学)からは東京の慶應義塾に通い、工学部を卒業後、米バックネル大学に留学。53年、日本IBMに入社した。
以来、記録的な勢いで昇進を重ね、75年に45歳で社長に就任、93年から99年まで会長をつとめた。その間、外資系企業で初めて売上高1兆円を達成するなど日本におけるIBMの存在感を高めただけではなく、オープンで洒脱な人柄が旧弊な財界に新風を吹き込んだといわれている。名実ともに「ミスター外資」と呼べる存在だ。
90年代の初め、東京・赤坂の会員制クラブで開かれた野田の誕生会で、ミスター外資の笑顔に接したことがある。メーンゲストはクレージーキャッツの植木等。財界人では椎名のほか、NEC社長だった関本忠弘ら錚々たるメンバーが顔をそろえた。