▼福沢桃介(1868~1938年)
米国留学を終えて、炭鉱鉄道会社で働いていたところ肺病にかかり、病気療養しながら相場を始める。相場の天才と呼ばれ、日露戦争後の急騰と暴落の両方で莫大な富を稼いだ。その後電気事業に転じ、木曽川の水力開発などを手掛けて「電力王」と呼ばれた。

野村徳七(1878~1945年)
両替商だった初代野村徳七の長男として生まれる。日露戦争後の相場暴騰時、下がると見て空売りしたものの、相場は上がり続けて苦境に直面。それでも売り続け、その後の暴落で大儲けする。「相場師で財閥まで作ったのは野村ただ1人」といわれる。

本多静六(1866~1952年)
東京山林学校(現:東京大農学部)を首席で卒業後、ヨーロッパで林学を学ぶ。帰国後は大学の教壇に立ち、「森林学の草分け」「公園の父」と呼ばれる。収入の4分の1を貯蓄するよう提唱し、株や土地で財を成したが、暮らしは質素で、退官後は資産の大半を寄付した。

堤康次郎(1889~1964年)
幼い頃から祖父母の手で育つ。相場の怖さを教えようとした祖父により、逆に相場と関わるようになる。祖父の死後、早稲田大学に入学。学生事業家になり不動産事業で才能を発揮する。戦争中は空襲のさなか、防空壕から電話して土地を買っていたという逸話がある。

森泰吉郎(1904~93年)
15歳のころ、株投機で失敗する。大学卒業後は30年間、大学の教壇に立ちつつ、生家の貸家業を続ける。戦災で貸家を失った際に、「これからはコンクリートの時代」と思い立ち、生家の跡地にビルを建設することから事業を開始。業界第3位の不動産会社をつくった。

加谷珪一
東北大学卒業後、ビジネス系出版社、投資ファンド運用会社を経て、コンサルティング会社設立。著書に『お金は「歴史」で儲けなさい』(朝日新聞出版)など。
 
(写真=時事通信フォト)
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