本当に望んでいたのはどんな人生なのか
――誰もが不安を持っている親の老いと介護は重いテーマです。『老いた親を愛せますか?』(幻冬舎)という本で書かれている岸見一郎さんの体験は、やがて直面するかもしれない介護への貴重なヒントになります。
もっぱら私の母の看病体験と父の介護体験を通して、どうすればよい親子関係を築けるか、看護、介護に際してどんなことを心がければいいかを考えてきました。さらには、その体験を通して学んだことを生かして、人生といかに向き合っていけばいいかも問う必要があります。年老いた親が動けなくなり、意識をなくしてしまったときに、なお生きる意味を見出すことができるのだろうかということが最大のテーマです。
母が脳梗塞で倒れたのは49歳のとき、私は京都大学の大学院生でした。母はまだ若かったのですぐに快復するだろうと思っていたら、入院中に再発。脳神経外科のある病院に転院しましたが、肺炎を起こし、やがて意識を失ってしまいました。そのとき私は、ずっと病床に付き添っていて、「いったい、人間にとって幸福とは何か?」を問い続けたのです。これはまさに哲学のテーマで、私は学問としてずっと学んできたのですが、目の前で死んでいく母を見て改めて考えないわけにいきませんでした。
お金ではないだろう、名誉も死ぬときには役に立たない。そんなものには意味がないと知ってしまった私は、大学院に復帰しましたが、人生のレールからは大きく脱線したかのような感覚を覚えました。それまでは、いつか大学で教鞭を執るだろうと思っていたのですが、「本当に望んでいたのは、そんな人生ではない」と気づかされたのです。
――岸見さん自身も50歳のときに心筋梗塞で入院し、生死の境をさまよった経験をお持ちだとか。
何とか一命を取り留めましたが、何日も集中治療室で過ごしました。病院のベッドで身動きができなくなったときに「こんな自分に価値があるとは思えない。みんなに迷惑をかけて、仕事も失い、この先どうなるかもわからない……」と自問自答しました。それでも生き延びた経験から、人間の価値を生産性で測ってはいけないと思いました。それは何ができるとか、できないで判断してはいけないということです。