大事なのはいまを前に向かって生きること

――そのことがやがて、父親を介護する際のありのままを受け入れるという姿勢につながるわけですね。岸見さんは、若い頃から「アドラー心理学」も研究されていますが、その成果も生かされているのでは。

私と父の関係は、良好なものではありませんでした。むしろ、険悪だったといっていいでしょう。同じ空間にいるというだけで私は緊張しました。親子関係といっても、究極は人と人の関係に変わりはありません。しかも、身内だけに他人以上にナーバスになってしまいます。アルフレッド・アドラーは「あらゆる悩みは対人関係の悩みである」といいました。実際、私が仕事でカウンセリングをしていても、対人関係以外の問題を訴える人はまずいません。人と関われば摩擦が起き、嫌われたり、憎まれたり、裏切られたりしますからね。

その際、トラウマということがいわれます。日本では、1995年1月の阪神大震災以降、頻繁に使われるようになりました。簡単にいえば、過去の辛い記憶が生きづらさの原因になっているという考え方です。私も、小さい頃に父に殴られたという記憶があり、それを引きずっていました。しかし、アドラーはトラウマを否定します。大事なのは、過去に何があったかではなく、いまを前に向かって生きていかなければならないということです。そう考えることによって、父の介護が楽になった気がします。

――実際、お父さんはどんな様子だったのでしょうか?

父は定年退職後、関連会社に勤めることになり、長く1人暮らしをしていました。ところが認知症を患い、クレジットカードの決済ができなくなったことから、2008年の秋にわが家に連れ帰りました。介護をはじめた頃は、朝していたことを夕方には忘れてしまっていることに驚きましたが、やがて、いま話したことや、していたこともあっけなく忘れてしまうようになっていったのです。と同時に、多くの認知症患者がそうであるように、自分の家族、つまり娘や私の妻も認識できなくなりました。

それを目の当たりにすると、子どもとしては戸惑うわけです。あるときは、がっかりし、理不尽な発言には怒りを覚えることすらあります。アドラー心理学では「何が与えられているかではなく、与えられたものをどう使うかが大切だ」と説いています。親の介護という現実に目をつぶらない、向き合いなさいということです。介護する側は、その勇気を持たなければなりません。私も目の前にいる父と、今日この日を生きていこうと覚悟したのです。

基本的な心得としては、はじめからハードルを高くしないということでしょう。誰しも最初から十分な介護はできないので、「今日は昨日よりうまくいった」と思えればいいわけです。ときとして、つい大きな声を出してしまったときには、素直に反省できるかどうかです。そして、できなかったことではなく、できたことに満足するという肯定的発想の訓練をするといいでしょう。