犯罪者が事件を起こした動機としてしばしば発するのが、「魔が差した」という言葉です。つい出来心で万引をしてしまった。日頃のストレスで追い詰められ痴漢行為に走ってしまった。そんなことを言う人間をニュースなどで目にします。
小説家の村上春樹は、「罪を犯す人と犯さない人とを隔てる壁は我々が考えているより薄い」と語っています。誰でも、もしかすると自分自身も、何かのきっかけで罪を犯す可能性がある。そう考えている人は多いかもしれません。ですが、犯罪心理学では犯罪をする人としない人の間には明確な「厚い壁」があり、「魔は差さない」と考えられています。
性的欲求を一発で抑える方法
たとえば痴漢という犯罪について考えてみましょう。痴漢行為をするのは男性が圧倒的に多く、女性はほとんどいません。その原因の一つは、男性ホルモンであるテストステロンの働きです。臨床現場では、痴漢の常習者にテストステロンの働きを抑える薬を処方することがあります。すると、心理療法ではなかなか痴漢が収まらなかった人も、すっと性的欲求が弱まり、痴漢行動が抑制されるということがあります。
テストステロンは男性なら誰でも分泌しています。また、日本社会では多くの人がストレスを感じていて、満員電車で通勤をし、性的な欲求も抱えています。しかし、だからといって痴漢行為をする人は極めてまれです。結局、痴漢をやる人とやらない人を分けるのは「少しくらい触ってもいいだろう」「バレなければ問題ない」という認知の歪み、ルールを軽んずる気持ちがあるかないかなのです。「魔が差した」というのは、今まで持っていた歪んだ認知に蓋をしていたのが緩んだ、と捉えることもできますが、そうであったとしても女性を軽視したり、ルールを軽視する認知やパーソナリティを、もともと持っていたのです。それがなければ、痴漢行為には及びません。
なぜ、いざやろうとするとドキドキするのか
そして、犯罪をするかしないかを分けるもう一つのポイントが、「良心」の働きです。それは頭の中だけの話ではなく、心臓と関係があると最近の研究ではわかっています。万引や痴漢ができる状況にあったとしても、いざやろうとすると多くの人はドキドキしてできません。なぜかといえば、子供の頃に平気で物を盗んだり、友達や兄弟を叩いたりすれば、親や先生から怒られることでそれが悪いことと学ぶ。叱られることを繰り返しながら、条件付けがされてきたからです。
つまり、「悪いことをすること」と「心臓のドキドキ」がペアになって、脳の中に「防止装置」が埋め込まれるのです。躾によって埋め込まれた防止装置は、家族や職場のことを思う想像力や、信念、価値観と相まって強く働くようになります。
一方、「著作権侵害」「横領」などは学校やホワイトカラーの職場で起こりがちな犯罪ですが、これらについては、幼年期に親に怒られた経験がないので防止装置が働かないのです。政治家や経営者のような地位がある人でも「領収書偽造」や「脱税」を犯してしまうのにも、そんな理由があるのです。