不正確な医療情報がネット上に多数掲載されているとして波紋を呼んだ「WELQ(ウェルク)」問題。信頼できる医療情報を提供しようと奔走する元脳外科医がいる。

メドレー代表の豊田剛一郎氏は東京出身の32歳。開成中学・高校から東京大学医学部に進学し、脳外科の勤務医になったあとアメリカへ渡り、マッキンゼーに転職したという異色の経歴を持つ。ヘルスケア企業へのコンサルティングなどに携わったのち、メドレーに参画し、医療情報サイト「MEDLEY」を立ち上げ(2015年~)、医療機関の遠隔診療導入を支援する「CLINICS」を提供している(2016年~)。

医師の道からビジネス界に進出した豊田氏の本懐とは? 豊田氏と田原総一朗氏の対談、完全版を掲載します。

脳科学の本がきっかけで医学部へ

【田原】豊田さんは医者からビジネスの世界に転身した。そもそも医者になろうと思ったのはいつごろですか。

【豊田】もともと親戚に医者がいて医療は遠い存在ではなかったのですが、高校生のときに脳科学の本を読んで心が躍り、医学部に行きました。

【田原】脳の話に心が躍る?

【豊田】人間は脳の7%くらいしか使っていないという本を読んだのです。パソコンにたとえると、ハイスペックなのにEメールしかやっていない状態です。人間の腕は2本ですが、脳の容量でいえばあと10本増えても自在に動かせるらしいんですよ。あと、人間は悲しいときに泣きますよね。でも脳科学的にいうと、あれは悲しいから泣くという因果関係ではなく、別の根源となるものがあって、それが悲しいという感情や泣くという行為を並行的に引き起こすのだそうです。こうした話を本で読んで、脳を一生研究する人生もおもしろいんじゃないかと。

【田原】卒業後は脳外科医になった。

【豊田】医学部で実習に行ったら、外科の先生たちがかっこよくて。医者だけど、職人的なところがあるんですよね。

【田原】外科医は技術者ですよね。どちらかというと、芸術家に近い。

【豊田】そうなんです。料理も極めると最後は芸術の域に入りますが、外科も似たようなところがあります。実際、芸術家肌の先生が多いです。それに憧れて、脳外科の研修医になりました。

研修医はキツイが、成長できる

【田原】研修ではどういうことをやるのですか。

【豊田】研修医は初期研修医と後期研修医の2つがあります。初期は2年間で、さまざまな診療科を1~2カ月ごとに回って見習いをします。1~2カ月程度では専門的なところまではわかりませんが、どのような症状のときにどの診療科に任せるかとか、その診療科の最前線の治療はどうかといった最低限の知識は身につきます。その後、自分で選んだ診療科で、後期研修医として働くことが多いです。

【田原】豊田さんはどこの病院で脳外科の研修医になったのですか。

【豊田】NTT東日本関東病院です。毎日手術の準備をしたり、救急外来の業務をやったりで、ひたすら働いていました。当直は、多い月で10回、少なくても6~7回。当直は夕方の5時から翌朝8時までなのですが、当直当日は朝から病院で働いているし、当直が明けてもそのまま夜まで働きます。

【田原】えっ、いつ寝るの?

【豊田】基本的に寝られません。患者さんが元気で異常がなかったり、救急外来で救急車が来ないときに当直部屋や診察室のベッドで仮眠するくらいですね。初期研修のときに最高で月の半分くらい病院で寝泊まりしたことがありますが、さすがにそのときはきつかったです。

【田原】医療現場は、若手医師の犠牲のもとに成り立っているんですね。

【豊田】はい、自己犠牲です。ただ、若手にとっては経験を積めるメリットがあります。当直中に救急で危険な状態の患者さんが運ばれてきたのに、医者は自分1人しかいない。はたして夜中に上司をたたき起こすべきか、自分で対処すべきか。そうした決断も含め、たくさん修羅場を潜ることで技術的にも人間的にも成長できます。

【田原】責任重大ですね。自分の判断しだいで患者の生命が左右される。

【豊田】怖いですね。入院させずに帰した患者さんが翌朝もう1回来院したこともあります。臨床の現場に計4年半しかいなかった私ですら苦い思い出が何件かありますから、長く医者をやっている先生の中には、医師免許を失うのではと思うくらい怖い経験をされている方も少なくないと思います。

【田原】後期の研修は何年ですか。

【豊田】はっきり決まっていなくて、専門医の資格を取るまでが後期研修医です。脳神経外科の場合は、受験するのに5年の経験が必要。前期2年、後期5年目で受験できて、合格すれば7年目に専門医の資格を取れます。