規則によって奪われた「思考する力」

私たちは何か起きたとき事態を収拾するために、たとえば「規則」をつくって、それをよくするためにさらなる規則を多くつくる。あるいは「報奨」を与えることで成果が上げることを目指し、さらに報奨を多く与えることで目標を高めていく……、こんな方法をとることがある。

ところが「規則も報奨も、何も変えてはくれない」と心理学者のバリー・シュワルツ氏は語っている。

「規則自体が私たちに命令するわけではないが」「規則は“考える力を奪う”」という。なぜなら、 規則はえてして強制となることがあるからだ。規則や報奨は一時的に状況を改善するかもしれないが、長期的には悪化していく悪循環を生み出すというのだ。

そういえばかつて規則通りの人に遭遇してしまった、こんな場面を思い出した。

その日は早目に駅に着いたので、予約より一本早い新幹線に乗ろうと窓口に寄った。すると、駅員さんが「切符を変更していると乗り遅れそうなので、このまま乗ってください。すいているはずです」と言ってくれた。おかげで、少しゆとりを持って新幹線に乗ることができた。適当に座席について、若い車掌さんにチケットを見せ「一本早い電車に乗りました」と伝えた。

すると、「このチケットはネットで購入したため、車内で変更はできません。乗車券と指定券代1万1000円をお支払いください」と言われてしまう。

特別な割引券でもなく、ただネットで予約購入しただけだ。席だってガラガラだし、何よりも駅員さんにキップを見せた上で「このまま乗るように」と言われたことも伝えていた。どこかに電話をすると、電話越しにオペレーターの女性のような声が聞こえてきた。どうやら上司ではなさそうだ。そして「やはり規則ですから」と、再度支払いを求められた。ところがちょうど現金を持ち合わせておらず、車内ではカードも使えないため「身柄を拘束します」と言われた――。