臨機応変さが生みだす事態収拾力

結局、目的地で駅員さんが待つ扉で「引き渡します」と言われながら私がホームに降りると、間もなく新幹線は車掌さんを乗せて駅を出ていった。ところが、駅員さんにチケットを見せると「このチケットの何が問題なのでしょうか……?」と聞かれた。駅でのことや、チケット代のことなどなりゆきを説明すると「申し訳ありませんでした。どうぞ、このまま改札をお通りください。機械でも通れます」とあっさりすべてが終わった。関係のない駅員さんに頭を下げられて、こちらが恐縮してしまった。

規則の詳細は不明ながら、“規則どおり正しい”のは若い車掌さんだった可能性もある。けれども、規則に頼りすぎて、その場の状況にあわせた行動を“思考する”力が奪われ、さまざまな人間の手をわずらわせたことも事実だろう。乗車駅と降車駅の駅員さんたちの対応は、状況や同僚の判断をふまえ、規則には書ききれないその場に応じたものだった。

シュワルツ氏は、病院の清掃担当者たちの例を挙げていた。掃除業者の規則に書かれたのは「床を履く」「拭く」「片づける」といったもので、人との関わりについてはいっさいふれていない。ある清掃担当者はロビーの掃除をしなければならなかったとき、看病に疲れた人がそこで仮眠をとっていた。だからその日は、その場では掃除機をかけなかった。

あるいは、付き添いの父親がうたた寝の間に病室の掃除をしたら、掃除をしていないと言われた。本来は1度だがその日は2度掃除をした。

ここには、規則では表しきれない人の感情や倫理観が絡んでいる。疲れた人が寝ていたら、その日は音の出る掃除をしないくらいの気配りは仕事でも必要だ。人への配慮や関わりは、必ず仕事への見返りとなって自分に戻って来るものでもある。

「私たちは規則に頼りすぎることで臨機応変に状況から学ぶ機会を失い、倫理的技術を衰えさせてしまいます」とシュワルツ氏は話す。

周りの人との関わりを大切にすることで生み出される仕事の成果もある。それはマニュアルや規則には書ききれない、人や状況が組み合わさった複雑なパターンの中で生じるものだ。自分の考える力を磨き、そのときに必要な対応をすることが、規則以上の事態収集能力につながり、周りも気持ちよくいられるはずだ。

では、報奨についてはどうだろうか。