孫正義は、なぜ日本を代表する経営者となりえたのか。どうして失敗を重ねながらも、最後には成功をつかみとることができるのか。その答えの鍵は「人たらし」にある!超一流ともいえる名ゼリフの数々を、関係者が証言する。
「孫正義さんは『ウソはつくな!』と厳しい口調でいい、すぐさま前代未聞の全社的危機を回避するための善後策を決めていきました。結果、これ以上はない対処ができたのです」
田部康喜が、こう振り返るのは、2004年2月に起きたYahoo! BB会員情報漏洩事件のときのこと。約450万人分の情報が外部に流れたこの事件は、ソフトバンクを狙った金銭目的の恐喝だった。
当時、広報室長だった田部にとって、就任3年目にして直面した試練でもあった。彼はただちに孫と少数の役員による緊急会議を招集。その席で冒頭の孫の強い意志を反映させた3原則をまとめた。
第1は、悪に屈しない。つまり1円たりとも犯人には支払わない。第2は、すみやかに警察やマスコミに事実関係を発表し、説明に際してはウソをつかない。第3は、流出した個人情報が2次使用されて、会員の被害が拡大することを防ぐというものであった。
犯人逮捕により事件が終了したとき、田部は「孫さんの旗のもとで働いてみて本当によかった。最初に会ったとき、『この人は本物だ』と感じた私の判断は、やはり間違っていなかったと思った」という。
田部と孫が初めて顔を合わせたのは1992年のこと。ソフトバンクの出版部門を任されていた責任者が急逝し、後任を探していた孫が、田部を誘ったのである。
だが、そのころの田部は朝日新聞社に籍を置き、「朝日ジャーナル」編集部から東京本社経済部に移ったばかり。通産省担当のキャップとして、パーソナルでオープンなネットワーク時代に入りつつあったコンピュータ産業の動静を、記者として追いかけてみたいと考えていた。