孫正義は、なぜ日本を代表する経営者となりえたのか。どうして失敗を重ねながらも、最後には成功をつかみとることができるのか。その答えの鍵は「人たらし」にある!超一流ともいえる名ゼリフの数々を、関係者が証言する。
三木雄信は1998年、孫正義の秘書としてソフトバンクに入社した。その後、社長室経営戦略担当、社長室長となった彼は、Yahoo! BB事業の立ち上げやナスダック・ジャパン(現ジャスダック)の創設、日本債券信用銀行(現あおぞら銀行)買収など、孫の戦略プロジェクトを支えた。
「けれども、いつも怒られっぱなしで、褒めてもらったという記憶はほとんどないです。ただ、社長室長として、私の意見が求められることもあるため、重要な会議には必ず参加しろと呼ばれていました」
見方を変えれば、三木は孫にとって必要不可欠な“参謀”だったともいえる。
「孫さんは私を言葉で褒めるのではなく、会議に呼ぶという行為で、ある種の褒めを表していたのではないかと、今は思います。事実、毎回のように呼ばれる人間は、いちように出世していきましたから」
とはいえ、そんな社員や幹部は大変だ。三木が社内会議でよく目にしたのは、時間、場所を問わない緊急の呼び出し。ソフトバンクの場合、重要な会議は日付が変わるまで続くことはざらにある。特に会議の議論が膠着し、専門セクションの意見が必要となったときなど、何時であろうと孫は関係者を呼び出すのだ。
深夜になっても続くくらいだから、そこで扱われている議題は緊急性の高い内容といえる。社内の別の場所や近くにいれば駆けつけられるものの、地方や海外に出張している場合は、そうもいかない。
「ところが、いつの場合でも、孫さんの指示は『今すぐ大至急』なんです。秘書やスタッフは、相手をつかまえるために電話をかけまくるなど懸命。結果、孫さんが“ヒトデ”と呼ぶスピーカーフォンでの参加もままありました」