孫正義は、なぜ日本を代表する経営者となりえたのか。どうして失敗を重ねながらも、最後には成功をつかみとることができるのか。その答えの鍵は「人たらし」にある! 超一流ともいえる名ゼリフの数々を、関係者が証言する。
稲盛和夫とともにDDI(第二電電)を立ち上げたのが、千本倖生である。
当時の肩書は専務取締役。千本は人材と資金の確保、法制度への対応と八面六臂の活躍をした。NTTや新電電各社との競争戦略の立案も彼の役目だった。孫正義と大久保秀夫が共同開発した「NCC・BOX」をDDIに売り込みに来た際にも、稲盛らとともに話を直接聞いたという。
「そのときの孫さんの印象が強烈で、今でもよく覚えています。普通、企業のトップは技術的な部分にはあまり触れません。ところが孫さんは違った。回路一点一点に至るまで、微に入り細に入り説明をする。これだけ準備をして商談に臨む人って考えられないほどでした」
15歳ほど年が離れた千本と孫だが、2人には共通点がある。類い稀な起業家として、通信業界の悪習に風穴を開ける役回りを自ら行ってきたことだ。それゆえ、時にライバルとして激しく衝突もした。
その象徴的な事例が、2001年に起きた千本のイー・アクセスと孫のヤフーとのADSL、つまりブロードバンド事業における価格競争である。千本はこう語る。
「もともと、ADSLへの着手は、当社のほうが早かったのです。アメリカを見れば、日本でも必然的にブロードバンドに移行していく。そう考えた私は、1999年に新たなベンチャー、イー・アクセスを興したのです」