胸に刻み込んだ「もしも」への備え

丸紅社長 國分文也
1952年、東京都生まれ。75年慶應義塾大学経済学部卒業、丸紅入社。2001年石油第二部長、03年中国副総代表、05年執行役員、10年丸紅米国会社社長、12年取締役副社長執行役員。13年より現職。

1992年12月3日、米国建国の地フィラデルフィアにあった丸紅の孫会社で、1人で灯りを消して回り、事務所に鍵をかけた。5年半前に自らが設立した石油類のトレーディング会社を清算し、立ち去る日だった。

従業員は24人。全員に、解雇を通告した。問題は再就職。トレーダーたちは、「腕一本」の世界で、すぐに仕事がみつかる。取引の清算などをした面々も、別のトレード会社や石油会社へいけた。苦労したのは、経理や事務などの一般職。再就職先探しに、一緒に走り回る。帰国の辞令は9月20日付。でも、12月初めまで残って、探し続けた。

帰国後、最後の1人の仕事がみつかった、との知らせが届く。ほっ、とするとともに、重い教訓が残った。「いい結果ばかりを想定し、もしものときの備えがなかった。これでは、いけない」。いまに至るまでの軸となった思いが、胸に刻まれる。40歳のときだ。