東大受験前夜のぼや騒動
「気配り」というのは、人間社会の潤滑油であり、社会人としてのマナーです。例えば、我々商社の営業などの場では気配りをすることが前提となりますが、私はこうした気配りを営業現場や酒席の場で数多く経験してきました。
しかしながら、こうしたビジネスマナーとしての気配りとは別に、人間には本質的に気配りの精神が宿っていると思うのです。人間とは本来、性善なるものに違いありません。実際、人生の中で、そういう人間の本質的な気配りに何度となく触れてきました。
これを最初に実感したのは東京大学を受験する前の夜のことでした。1957年、故郷の大分から24時間も列車に揺られ、受験の3日前に上京しました。当時は、大学受験生がホテルに泊まるようなことはなく、親類縁者などを頼って寝泊まりの場所を確保していました。
私の場合、兄の後輩であるNさんを頼りました。Nさんは東京工業大学の学生で、大学寮の部屋に泊めてもらいました。
寮に着くなり「君はこの布団を使いなさい」と寝場所を用意してくれたのですが、ちょうど卒論で多忙とあって、実験室にこもり夜中に帰ってくる生活でした。
受験前夜は、かなり冷え込んでいました。遅く帰宅するNさんへの恩返しのつもりで、Nさんの布団にこたつを載せて私は先に床に入ったのです。こたつといっても、手作りのやぐらの中に調理用の電熱器を置いただけの代物でした。
突然、夜中に息苦しくて目を覚ますと、部屋の中は真っ白で、焦げ臭い。布団をめくると、メラメラと炎が上がり、やぐらが燃えていました。
飛び起きて廊下に飛び出すと、運よく防火用の水入りバケツを発見し、水をかけたのです。布団に焦げを作りましたが、幸いにも大事にいたらずに済みました。
騒ぎに気づいた寮生から連絡を受けたNさんが飛んで帰ってきましたが、私は部屋の中でしゃがみ込み呆然としていました。
もし、自分がNさんの立場だったら、小言のひとつも言ったと思います。でも、こんな騒ぎを起こした私に対して、Nさんは「布団と畳が焦げただけだ。明日、受験だろ。気にしないでいい。あとは俺が片づけるから、もう寝なさい」と顔色ひとつ変えずに、やさしい言葉をかけてくださいました。
そして、片づけが終わると、再び深夜の実験室に戻っていったのです。そのお陰もあり、受験もうまくいきました。
それから約20年後、私は丸紅の紙・パルプ担当者として、Nさんは偶然にも製紙会社の工場長という縁で再会を果たしたのです。それからずっと今もお付き合いさせていただいています。