「老婆心」とは気配りのこと
「極めて才知に優れているけれど、あの者には『老婆心』が足りない」
一体、誰が誰のことを言ったのか。
今から約800年前のこと。道元禅師は曹洞宗を開き、永平寺の開祖となりました。その道元の後継者には、弟子の中でも才知技能に優れた「義介(ぎかい)」が選ばれると目されていました。しかし、道元は「懐裝(えじよう)」を指名した。のちに『正法眼蔵随聞記』を著した懐奘は道元にこう尋ねたと記しています。「お師匠様は、なぜ義介に印可(悟りを開いたという証明)をお与えにならなかったのですか?」。その返答が冒頭の言葉です。
老婆心……。しばしば、お節介、余計な親切心といった意味で、「老婆心ながら言わせてもらえば……」などと、自分をへりくだるときの語彙として使われますが、それは誤りです。正しくは、「人を深く思いやる心」という意味です。そんな老婆心を持って、人と接することがリーダーに不可欠だと、道元は考えたのでしょう。
私もその考えに賛同します。だから、若い人たちには道元流の老婆心を身に付ける努力をせよと常に促しています。
いわゆる「気配り」の重要性は、今さら言うまでもありません。それはビジネスマンのイロハのイでしょう。ところが、その気配りによって、上司や部下、取引先などに良い印象を持ってもらおうとする残念な輩があまりに多い。自分の出世・栄達のためのおべっかやゴマスリは簡単に相手に見透かされます。結局のところ、自分のことしか頭にないのですから、老婆心の欠片もない。