転籍・出向対象者の心情を思いやる

マルハニチロホールディングス社長 
久代敏男氏

長らく人事畑を歩んできたせいか、気配りと聞いて真っ先に思い浮かぶのは人事の場面です。人事は人の一生を左右しかねないデリケートな仕事。何を進めるにしても、相手の心情を思いやることが必要でした。

とくに苦心したのは人員削減の場面です。私が大洋漁業に入社した1971年当時、弊社には陸上の従業員が約5500人、海上籍の従業員が約9000人いました。ところが、77年の200カイリ規制で遠洋漁業からの転換を余儀なくされ、労務コストを削減する必要に迫られました。そして、ニチロと統合する直前には従業員数が1000人を切っていた。

労務コストの削減は、会社として仕方のない判断でしょう。しかし、いくら経営論を振りかざしても、そこから去る人の耳には理不尽に響く。そこに人事の難しさがあります。

相手に納得感を持ってもらうにはどうすればよいか。心に決めていたのは、一緒に働いてきた仲間を路頭に迷わせないことでした。人を減らしたければ、指名解雇や希望退職の募集も可能です。しかし、「退職金を割り増しで払うから、あとはご自由に」という手法は冷たすぎる。関係会社や取引先への転籍や出向という形にこだわり、関係各所の協力を取り付けるために方々を走りまわったのも、そうした乱暴なやり方を避けるためでした。

もちろん受け皿があればいいという話でもないことは十分に承知しています。マルハ本体から離れて関係会社に行けば、休日や賃金が減ってしまう場合があります。それでも社員が奥さんや子どもさんに対して、「クビになって明日からどこも行くところがない」と言わなくても済む形だけは守りたかった。それが会社を去る方への私なりの気配りでした。

辞令の伝え方にも気を使いました。順風満帆でサラリーマン生活を送ってきても、最後の瞬間で嫌な思いをさせてしまうと、その人の会社での思い出はすべて嫌な色に染まります。逆もまた然りで、いろいろと辛いことがあっても、最後の辞令の伝え方によっては、この会社で働いてきてよかったと思ってもらえるかもしれない。いずれにしても最後の瞬間がそれまでの歴史を大きく左右しますから、紙一枚で終わらせるのではなく、できるだけ直接、労いの言葉を伝えるようにしていました。

みなさんに納得してもらえたのかどうかはわかりません。渋々ながら理解してくれた方もいれば、おそらくいまでも恨みに思っている方もいるでしょう。必ずしもすべての方が納得ずくでなかったことは、私としても忸怩たる思いです。

ただ、先日九段会館で開かれた東京マルハOB会に集まった面々を見て、少々救われました。その中には私の人事課長・部長時代に外に出てもらった方がたくさんいらっしゃった。OB会に出席してくれたということは、仮に私個人に対して「こんちくしょう」と思っていたとしても、会社に対して悪い印象を抱いていないという証拠。そう考えると、自分が心がけてきたことはあながち間違っていなかったと安堵しています。