課題を「みえる化」全部門で解決探る

コマツ社長兼CEO 大橋徹二
1954年、千葉県市川市生まれ。77年東京大学工学部卒業、コマツ入社。82年スタンフォード大学大学院工学部計数工学科留学。2004年コマツアメリカ社長、07年コマツ執行役員生産本部長、08年常務、12年専務。13年より現職。

現場力を結集した日本流が、米国勢を追い詰めた1980年代。個々人の着想や開発力を武器とする米国流が巻き返した90年代。「ものづくり」の在り方はどうあるのがいいのか、21世紀に入っても、論争も競争も続く。

ただ、言えることは、1人の天才型経営者がすべてを引っ張っていく形は、いずれ、行き詰まる。それぞれが部分最適を追う縦割り組織では、企業が持つ力の最大化は難しい。そのことを、40代の終わりに米国勤務で確認した。

2003年4月、シカゴに本社を置くコマツアメリカ(KAC)の副社長に就任する。生産部門の責任者で、任務は約270キロ離れたピオリアにある工場の再建。コマツ本体にはない鉱山用の超大型ダンプトラックにいい製品を持ち、お客もつかんでいた。

ところが、90年代後半、新機種へのモデルチェンジで躓いた。品質や信頼性の問題が出て、お客の苦情が続く。売上高が1割強も減り、98年に赤字に陥る。苦情への対応費用が膨らみ、他分野の稼ぎで埋めていた。日本の本社では、誰もが「再建は無理」と思っていたが、社長が「立て直す」と言い切り、送り出される。翌年、KACの社長になる前提だ。

着任すると、何が悪いのかは、すぐにわかった。トラブルの大半は、300トン積みの機種に400トンの鉄鉱石を積んでしまう過積載が主因。でも、生産部隊は、製品を送り出せば仕事は終わり。過積載は売るときに注意すればいい、とそっけない。販売部隊は、売れさえすれば成績になるから、不都合なことには口をつぐむ。結局、苦情や故障はサービス部隊にはね返るが、それが生産現場の改善につながらない。要は、縦割り組織の弱点が、大きく出ていた。

年末まで9カ月、月に3度か4度、ピオリアへ通う。設計から生産、販売、サービスまで全部門の代表を集め、山積みされたままの問題を、一つずつ掘り下げる。いまや日本企業の普遍的な経営手法になった「みえる化」のように、何が悪いのかを解きほぐし、表に出していく。